ホテルでチェックを住ませ、撮影を終えて再び車に乗って次の建築物に向かった。隈研吾設計の建物は梼原町に4つある。この中で最も大きく象徴的な建物が2006年の梼原町総合庁舎である。
スギの集成材を使って梁を組み合わせ、軒の出を支えている。スギのパネルとガラスがモザイク状に組み合わされているが、きれいな市松ではなくランダムに配置されてリズムをつくっている。
反対側から。
これだけの大建築で垂木の並びが見えると、奈良時代の寺院のような風格がある。
窓枠も木製サッシュ。
ああ、どっしりして気持ちよさそうな窓だ。
こちらの木製パネルはスチールの枠がある。
内部。どあ〜んとすごい大空間。
通常の出入り口は赤矢印のところだが、
その間にははさまれたモザイクの壁はスライディングドアになっており(飛行機の格納庫に用いる巨大なものだそう)、ドアを開放してこの大空間と外を一体化できるんだって! 冬以外は開放して仕事をしても気持ちよさそう。トンボや鳥が飛び込んできそうだがw。
スチールの筋交いがいい味を出している。
中に小さな建物があって時節柄おひな様が飾られていた、これは梼原町伝統の「茶堂」だそうで、かつてここには旅人を茶でもてなす東屋がたくさんあったという。
集成材の梁は4本の柱でボルトで挟み込むように結合されている。
一部に手漉きの和紙も使ってある。高知の山間部はかつて和紙の一大産地であった。
棟札が掲げられていた。この建物の来歴と、様々なデータが書きとめられていた。
この建物のもう一つ特筆すべきは、屋根が全面太陽光パネルになっており、地下にはクールチューブが設けられていることで、窓やドアの開放と相まって執務空間は空調を必要としない。
梼原町はかなり早い時期から自然エネルギーを活かした町づくりに取り組んでおり、四国カルストには風車があり小水力発電や地熱を使った温水プールもある。町は2050年までにエネルギー自給率100%を達成する「行動計画」を決めている。
原発事故の後、自然エネルギーの先進地である梼原町に、全国から自治体や議会の視察が殺到したそうで(2年半で250団体、2000人以上)、町の商工会が、旅行会社組んで視察ツアーまで企画したという。
ここには隈研吾の建築がぴったりと合っていたのだし、また建築自体がその思想を発展・増幅させたともいえる。