昨日は散骨の準備をした。
yuiさんが亡くなるぎりぎりまで、葬儀やそれ以降のお骨をどうするかなど考えられなかった。奇跡を念じて快復する夢を最後まで描いていたからだ。
最初は墓など考えず、散骨だけして小さな骨壺と写真だけ飾ろうか・・・などとイメージを持っていたので、葬儀が終わり、火葬場で焼かれたとき、散骨用の骨を小さな別壺に取り分けてもらっていた。
四十九日が終わり、やっとその骨壺を開ける気持ちになった。骨壺といっても直径5〜6cmの円筒形の陶器の壷で、それが六角形の銀糸の箱に納められているのだが、フタをあけると上までいっぱいに小さな骨が並んで入っている。
散骨は法律上2mm以下に小さく粉砕しなければいけないので、骨の中でもいちばん脆い肋骨だけを集めて入れてくれたのである(私も入れるのを手伝った)。それを上から棒でつつくと、あっという間に粉々になり、嵩ががくんと減ってしまった。
朝、畑に出て周遊する。今年はそんなわけで夏頃から畑にあまり手をかけることができなかったので、ちょっと寂しく荒れた風情である。それでもイチジクが生り続け、師匠から貰ってきた苗が育ち始めている。
摘心したソラマメも大丈夫そうだ。間にはキャベツとハコベを植えてある。ハコベは雑草だが肥沃地に生え、根周りに微生物を持っているので、土壌改良に移植したのだ。
マンバも簡単に着いた。
ミニトマトはまだ生り続けている。ゴーヤーのつるとこんがらかって風で支柱が倒れたまま、放置しっぱなしでジャンングル状態の中から一つずつ色づいてくる。畑に出るたびにおやつ代わりに口に放り込むのだが、しばらくご無沙汰していたらまるでベリーのように赤玉が並んでいる。
ゴーヤーもひとつ落下しているのを見つけた。しかし、11月中旬だぜ、やっぱり南国であるなw。
サトイモもそろそろ・・・
最も有望株のビワ。これから果樹の剪定をいろいろ勉強しなくちゃいけない。yuiさんは果樹がとにかく大好きで、この庭を果樹だらけにしたいという夢を持っていた。少しでも私がそれを実現していきたい。
室内に戻って朝のおつとめ。といってもお茶とご飯を差し上げてお線香をつけて手を合わすだけだが。そのうち読経もするつもり。
やはり仏具のセットは買わなくてよかった。おかげでスッキリご本尊と位牌が映える。テーブルの奥行きもちょうどいい。150mmの板×3枚に50mmを足したのだ。いつもなら3枚はぎで終えてしまうところだが、入念にサイズを出した。
位牌の会津塗りは、やはり店頭で「yuiさんの位牌ならこれしかない」と瞬時に選んだ【勝美型】の3.5寸。特徴は下部のくびれの下の部分に「金虫喰」という漆研ぎ出しの装飾がある。また下台部分に蓮の花をかたどった抜きマドがあり、そこに金粉が伝って優美な曲線を描いている。
正面は金字で戒名だけを、裏には白字で俗名と没年・享年を入れてもらった。会津塗りの歴史は古く、一説には平安末期まで遡るという。勝美型は、会津塗りの基本形である春日型が、江戸時代に洗練されたものらしい。
仏壇も位牌もミニマルなモダン・タイプが次々と作られているが(たとえばA4仏壇)、やはり伝統と古くからの工芸は侮れない。思い入れが強い人に対する慟哭を鎮めるには、ある程度重厚なシンボルが必要なのだ。
そして漆喰壁とスギのフローリングにその伝統のエッセンスをうまく納めるなら、実によく映え融合することに驚くのである。