前夜、雨が降って、畑の作物が一気に大きくなっている。もちろん雑草もである。雨の直後は雑草が抜きやすく、いつもは硬い草もさくさくカマで切れる。早朝、生ゴミを堆肥の山に捨てに行ったついでに切り返しをやり、草刈りをしばらく続けた。曇り空だが、セーターにズボン下を履いてやっていると汗ばむほどの陽気となった。アマガエルを初見。クモ類もたくさん出てきた。
今年の春は大きな変化を感じている。雑草の中にホトケノザとハコベ、そしてカラスノエンドウが大変増えてきたのだ。これまではびこっていたスギナやスイバ、ヨモギなどは、畝を切りなおしたときに根ごと引き抜いていることもあるが、ハコベがこれだけ萌え出てきたのは酸性土壌が中性化し、土が肥沃になりつつある証拠である。
何度も書いていることだが、ここは何十年も放置された荒地であった。荒れ地といっても、定期的に草刈りの管理だけはやっていた土地である(除草剤は使っていない)。家を建てたときに表土をユンボで掻いてもらい、手強いクズやススキなどを根ごと引き抜き、裸地にしてもらった。そこから手鍬で(ツルハシで)開墾していったのである。
表土は土地の隅に小山に積んでもらったので、この土地の潜在的な植生・昆虫・微生物相はキープされている。そこに開墾が加わり、モザイク的な草刈りが成され、果樹などが植えられて、丸2年が過ぎた。いよいよ3年目に入るわけだが、これまで書いてきたように1年目からすでに昆虫やカエル、土壌生物の気配は多く、里山ならぬ里畑の様相を呈している。
隣は保育園と不動産屋が管理する空き地、その奥は住宅密集地。そして道を挟んで反対側は果樹園になっている。空き地と果樹園は除草剤と農薬を使っており、周囲の家々もコンクリートで覆った土地が多く、庭はあっても除草は徹底管理している。なので、この土地は周りの生き物たちの揺籃の地であり逃げ場所であり餌場になっているのをひしひしと感じるのである。
果樹園の隣にわずかながら雑木林が残っている。また道路ぎわに大きなエノキの木があり、その奥に小さなため池がある。鳥たちが種子を運んだのか、ウチの敷地にもエノキが自然に生えてきている。草刈りを手刈りでやっているとそんな発見があり、面白いものは刈らずに残すことができる。
先日、養老孟司、池田清彦、奥本大三郎の対談集『虫捕る子だけが生き残る』を読んだ。お三方は、子供の頃から現在まで昆虫採集を続けておられる重鎮だが、虫を通して見る今の日本の「自然度」の感想は、絶望的で背筋が凍るようなものであった。
やはり、虫はさらに減っているというのである。開発や農薬だけでなく、アスファルトの舗装道路や水銀灯など夜の照明も追い打ちをかけている。根本的な原因について微生物が減って土がひ弱になっているという結論めいた話も出た。虫が減れば土に還る死骸も減るわけで、微生物相が脆弱になるのも道理である。
元々、日本の火山性の土は酸性土壌だが、それに酸性雨が追い打ちをかけている。昔はよくものを燃やして灰や燠炭を土に捨てていたが、灰のアルカリは中和の役目をしていたのだし、燠炭は土へのミネラル補給になり微生物に住処を与えていた。
私がこの土地で2年間やってきたことを書き出してみると、
1)枯れ木や枯れ竹を燃やして、灰や燠炭を土に返す
2)コンクリートやアスファルトを使わず、砂利で覆わず、土を残す
3)草刈りはエンジンカッターで全刈りせず、手ガマでモザイク状に管理
4)除草剤は使わない。農薬は最小限、ピンポイントに
5)雑草と共存する自然農の畑を増やす
6)周囲の自然度の高い環境を大切にする、生き物の移動経路を考える
7)植物性の生ゴミ、卵の殻、魚の骨、エビの殻、などは刈草とともに堆肥化する
8)開墾で出た石は土地の凹みの修正工事などに使う。その際モルタルは使わない
その結果、ハコベがじゅうたんを作るような土地になり、モザイクに刈り残すことで、バッタ類やスズムシなども居着いてくれ、土にカタツムリやミミズが増え、トンボが飛び回り、カエルや鳥たちがそれら昆虫類を食べに集まっている。
『虫捕る子だけが生き残る』の副題は「「脳化社会」の子どもたちに未来はあるのか」だが、虫もいなくなる環境を作っているのは大人たちなのであって、虫捕りができるような環境を積極的に作りなおさねば、子供がバーチャルな世界に魅せられてしまうのは当然である。
環境を作るにはなにも植樹したり食草を積極的に植えるばかりではない。上に書いたようなことは片手間でもできることで、だいいちお金もかからないし、排気ガスや騒音がなく、身体を動かすことで健康にもなれるのだ。
一見ズボラに見えるような土地や畑の管理が、実は生き物を育んでいるのである。また、土木工事は野石を使った空積みがよいのであり、雨の多い日本では水抜けがよいそれが理にかなっている。やり直しができるところもよい。また、生き物の移動を分断することもなく、石のすき間がいい住処になるのである。
しかし、もしこの土地に知識のない若い夫婦が住み始めたら同じことができるだろうか? きっと周囲の目を気にして、エンジンカッターや除草剤を使い始めるに違いない。砂利を敷き詰め、モルタルでレンガなどを積んで花壇を作り始めるだろう。いま日本では「里畑(すなわちズボラな自然農)」のロジックが必要かつ求められているのではあるまいか。
今年は水の問題に取り組んでみたい。この地は雨が少ないので夏だけでなく四季を通じての水やりが必須のようだ。水道水には塩素が入っているので、井戸が掘れればいいのだが、小さな池を作る手もある。まあ、とりあえずバケツを並べるところから始めてみるかw。