前夜、けっこう飲んだのだけど、ホテルのベッドで4時に目が覚めて『ルイス・カーンとはだれか』を読み続け、相方が目を覚ました頃にはついに読了してしまう。
「構造は光を与え、光が空間をつくる」
「街路はひとつのルーム(部屋・空間)である。合意された共同体のルームである。街路の性格は、交差点ごとに変わっていき、それはいくつものルームのつながりとみなしていいでしょう」(カーン1971年の講演から)
「都市とは、その通りを歩いているひとりの少年が、彼がいつの日かなりたいと思うものを感じ取れる場所でなくてはならない」(1973年)。
カーンの珠玉の言葉が、明け方の僕の脳幹に心地よく突き刺さる。
著者の香山壽夫は続ける。
「共同性(commonality)を信ずること、これがカーンの全ての根底にある、最も巨大の思想である ~中略~ モダニズムの建築思想、あるいはむしろ近代の諸々の思想は、その根底から捨て去られている。『神は死んだ』というニヒリズムも、『無秩序と狂気』を主張したシュールレアリズムも、『家は住むための機械である』という合理主義も、カーンはきれいさっぱりぬぎ捨てて、一顧だにしない」
「といって、『共同性』とは何か、それが説明されることはない。それは説明できないのだ。それは、ただ巨大な問として、すなわち問い直し、求め続けるものとして私達の前にある。共同性は在る。それを信じて生き、それに向かってつくる。それが創作という行為だ。人間に対する、世界に対するこれ以上の大きな信頼があろうか。私はカーンが示してくれた最大の思想をここに見る。そしてこの思想は、カーンがはじめから一貫して保ち、述べてきたことであった。デザインの根底にフォームが存在するという主張も、あるいは又、都市の通りは部屋であり、子供達はそこで育つという主張も、全てはこの共同性を求める思考から生まれていることに、改めてここで気付くのである」
朝、ホテルを出て、カーナビでファミリーレストラン「ロイヤル・ホスト」の所在を探すとすぐ近くにある。カーナビはほんとに便利だ。店の分類まで探し出し、簡単に導いてくれる。なぜロイヤルか?というと、モーニングがまあまあイケて安い、ということを、先日の水戸での仕事の打ち合わせで知ったからである。その前に、朝食を食べれる個人経営の店なんて、いまどき(関東の)地方の町には存在しないのであった。
ドリンク・バーのエスプレッソをすすりつつ、道の対岸のつぶれたガソリンスタンドをいやがおうにも眺めてしまう。寂しい町の朝は、やけに車の行き来が多いけれども、町中のスタンドはつぶれており、往来の車はほとんどが一人で運転されている。僕はここで手帳に模式図を描いてみた。
町は郊外店によって食われ、山は過疎によって荒廃する。郊外店によって縮小した田畑は、基盤整備や化学肥料・農薬、品種改良によって「生産力は上がった」けれども、一緒にいた多様な生物は失われ、里山は放置されマツ枯れを誘発した。ようするに、自然系にとって、今はいいところは一つもなく、このままでは未来も絶望的なのである。
荒廃したぶん、失った流れは海外からの輸入でまかなっているだけだ。これだけのポテンシャルを持つ日本の自然を放置荒廃させながら、なんというバカなことをやっているのだろうか。加えて、都市や郊外の建築空間の凄まじい荒廃ぶりはあまりに酷く、淋しすぎる。カーンが言うように、これでは「一人の少年がなりたいと思うものを感じ取れる」わけがないのである。
鑁阿寺(ばんなじ・足利氏宅跡)をはじめいくつかの寺を見にいった。石畳の道に誘われて散策していると」「閻魔様」の像が安置されている利性院の路地に入り込んだ。すると、後ろからつけてきたおばあさんが「今日はお祭りだから上がって像を見ていきなさい」といい、誘われるままに上がると、中で坂上二郎さんに似たおじいさんが閻魔のいわれなどを説明してくださる。彫刻としてもなかなかいい像だった。ふだんはこんなに間近には見れない。写真も撮っていいという。まったく、これだから旅は止められないのだ。
アトリエに帰る前に、館林にも立ち寄った。城沼に飛来している白鳥を見たが、周囲の環境が悪化しているのが心配になった。シベリアから渡ってきたハクチョウの向こうに、巨大マーケットのガラスとコンクリートが輝いている。そして周囲には、新建材のハリボテのようなモダン住宅が軒をならべている。なんという戦慄的な光景だろうか。
いきあたりばったり、佐野手打ち系のラーメンを食べる。「平野屋支店」という日本蕎麦もやっている店だった。これがアタリでなかなか旨かった。その後、分福茶釜と狸像で知られる茂林寺へ。300円を払って堂内に入ると、中国の古典水墨画「牧渓」の作などがあって驚く。館林は「ツルのかたちの群馬県」の頭にあたるところだ。帰りは利根川を先に渡り、埼玉側を通って帰還した。