雨上がりで午後からよく晴れたので、神流川に沿って中里~上野村まで行ってみる。沿線のサクラは散り始めているが、岸壁に赤紫のツツジの花が美しい。この流域は岸壁が多く、山深い独特の雰囲気を醸し出している。下仁田側ともちがい、秩父側ともちがう。それは地質ーー岩石の質によるものなのかもしれない。
この一帯は古生代、中生代の岩が集まっているところで、群馬では最も古い地層に属する。また石灰岩の岩脈や鍾乳洞があり、セメント会社が掘削をしている。中里に「恐竜の足跡」があるので有名である。
この岩は道路に露出していて、だれでも観ることができる。その説明看板によれば、ここは1億年前に海だったのである。
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中里にはかつて叶山という石灰岩の名峰があったが、現在はセメント会社が採掘して、頭が平らになってしまった。むかし出版されたガイドブックの写真から名峰ぶりをうかがうことができる。
しかし、山を買い取って木を伐採するのは理解できるけど、山塊ごと削って売ってしまうという感覚がすごい。この叶山の消滅が当時の山岳愛好家にとってどれほど衝撃的なことだったか。以前引用した『秋山郷と西上州の山々』の一文を読んでみてほしい。
その山麓では「瀬と淵を取り戻す実験工事施工」という名の河川改修工事が行なわれ、岸には子供たちに描かせた絵を挿入した「魚がいっぱい神流川」なる虚しい看板が据えられている。石灰岩の地質には特異な植物が多い。かつてその名峰を見上げながら、カジカやアユを穫ったことのある老人たちは、いま何を思っているのだろうか。
昭和34年竣工の「神流ダム」そして平成の「上野ダム」に上下流を挟まれて、神流川は死んだのだ。そして流域には毎年のように新たなコンクリートの建物がひとつまたひとつと建てられ、かつての養蚕農家の古建築は見捨てられようとしている。富岡製糸工場を世界遺産にする動きがあり、その後ろ盾として群馬には養蚕から製糸、織物まで一環した繊維産業の存在をうたっている。しかし結局、観光目当てのように思える
いま取るべき舵は、木造・土壁の古建築を活かしていくこと。水系に毒物・富栄養を入れないこと(農地に薬をまかないこと)。荒廃山林の手入れを急ぐこと。そして川をダメにする無用な土木構造物の撤去であろう。そこに経済が循環する、人が集まるシステムを構築すればよい。これは本物の感動に出会う仕事である。
かつて神流ダムができる前は、鬼石あたりでさえカジカが採れ、その焼き枯らしをうどんのダシに使い、魚卵まで食されていた。ダムができる当時は冷凍や輸送技術はお粗末であったが今はそうではない。この田舎でさえ外国産の魚を食べざるを得ない滑稽な現実を、変えることはできないのだろうか? 僕らはいま、放置された山と畑と湿地の手入れを始めて2年目で、食べきれないほどの山の幸を発見し手にして、この土地の自然度と生産力の高さを実感しているのだが。