石をとる/集落支援員in椹森(2)


集落支援員二日目。椹森へ。前回留守だった家を中心に回る。ここには50代の現役人が3人残っている。つまり、いま問題になっている限界集落の家主(70代80代のおじじたち)の、次の代の跡継ぎが存在する。一人は役場勤め。一人は造園業。一人は生花農業、である。

今日は、前2人に会って話を聞くことができた。釣りの話から、川の話になった。ここ船子川には、子どものときは飛び込めるような深い淵がいくつもあったという。それが消えたのは、石を取ってしまったからだ。神流川流域は庭石の産地である。鬼石の三波石は有名だが、そこは天然記念物になり河川から石が撮れなくなったので、さらに上流のここいらで川の石を取ったのである。そのおかげで、ざら瀬(浅い砂利の流れ)が多くなり、魚も激減した。

ところが、次に聴いたのはその石を取っていた側の人だった。しかし「石には人にパワーを与える力がある」と目を輝かせ、トラックに石を積んで全国売り歩くという、その人の話も良かった。石だけでは厳しいので、植木とセットでやっているという。

その人は、家の前の河川の直線化工事の話をした。それで、石置き場の移動を余儀なくされたという。直線化のおかげで道は広くなり、キャンプ場やゲートボール場ができた。しかし、川は護岸で固められ、自然度はなくなり、景観が悪くなった。

障害者のご主人ひとりぐらしで、まったく口を開いてもらえなかったり、宗教団体の勧誘モドキに間違えられたりと、受難はあったのだが、重く大きな収穫があった一日。

このあたりの畑は旧アトリエの比ではなく傾斜がきつい。というわけで、多くの家では畑作を放棄しており、すでに自然の木が生えている。

そんな中でもいくつかの元気に植えられた畑をみる。

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流域の途中でみた看板。平家落人説を裏付ける内容。でもネットで「いちこ姫」を検索してもまったく掛からない。「鹿島」は「屋島」の誤植では?

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昼食は旧中里「恐竜センター」で天ぷらそば。シイタケの香りがよかった。

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