スギを運ぶ


久しぶりに敷地の山に入ってスギを運び出した。雪害木の整理も含め、昨年秋に伐っておいたものだ。皮が剥がれておらず(皮を剥げない)虫食いの穴がとても少ない。葉をつけたまま林内に放置しておいたものは水分が抜けてとても軽い。葉のついた頭の部分を伐ってしまったものはやや重い。

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間伐で下草が回復しアオキ、チャ、ユズリハ、ケヤキ、モミジなどが育ちはじめて歩きにくくなっている。運び出してから、奥のスギを少し間伐しておいた。

最近はスギの性質を知るにつれ、薪にするのがだんだん惜しくなってきた。スギは節がなければまるで竹のごとく割れる。その細かい薪の束をいじっているとスギの棘(とげ)を手に刺してしまうほどだ。ところが細かく割った薪を足で踏んで二つに折ろうと思っても、これがなかなか折れない。割ったものは繊維を切断していないので、より反力が強いのだ。しかし、全体には柔らかなので加工がしやすい。ノコや刃物を傷めることがない。直感的に扱えるので、古民家のちょこちょこした改修には実に便利な素材である。

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かつてヨーロッパの宣教師や学者たちが日本にやって来たとき、スギの木を絶賛し、この木がある国土を非常に羨ましがったという。これだけ成長が早く、軽くて運びやすく、まっすぐで割りやすく、柔らかで加工しやすいのに材としては強靭で、赤身は腐りにも強く、・・・こんな木は地球上くまなく探してもそうそうはないのだが、これが栽培しやすいときている。

もちろん昔の日本人はそのスギの特性を見抜き、自在に活用し、大切にしたのだ。『農業全書』=江戸時代の農業書にはこう記されている。

「スギ、ヒノキに勝る木なし、直にのびて盛長し、和らかにして強く、かるくして持ち運びにちから費えず、・・・水に入れ雨にぬれ土に入りてくさらず、屋敷まわりのふせぎより山林は伝に及ばず余地を残さず植えおくべし。国のたから又上もなきものなり」

割ったスギの肌にはビロードのような光沢が現れる。ペーパをかけてしまうと消えてしまうこの光沢は、手鉋やナイフで造形するなら活かされる。薪に割ったときに、あまりにも美しい赤身が現れたり、あるいは節があることで生まれる面白い曲がりが出たりすると、燃やすのはもったいなくて、そのままプレートにしたり、バターナイフに削ったりしている。

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とまあ、薪だのお皿だの、いまだ情けない使い方しかしていない僕らだが、今回のスギは2階の改装に活かしたいと考えている。


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