朝、Y先生がやって来た。まだ痛みがあるらしいが顔色もよく元気そう。敷地と畑の見回りを一通りするだけで、書ききれないほどこの日記のネタはできてしまう。石垣のきわに出てきたユリ科の植物の葉っぱを刈らずに残しておいたら、それはなんとニッコウキスゲだった。その開花が始まった。この有名な花を初めて見る相方は大喜び。
オオバギボウシの葉っぱはいいお皿になる。畑から採りたてのネギを刻んで冷たいうどんを食べる。先日、イタルさんからサントウサイという青菜の間引き菜をいただいた。さっと茹でてゴマ和えが美味しい。ゴマといえば、アトリエでは焚き火で生ゴマを煎り(金網製のゴマ煎り器を使用)、それをプラスティックのゴマ擂り器に入れて使っている。香りがちがうんだな、これが。
補助金申請の都合で、先日の除草剤散布後の写真を頼まれていて、軽トラで国道までの道を行く。
撮影後、あまりに天気がいいので沢でフライを振ったり旧道を散策したりする。相方は初めて間近に見るフライキャスティングと、僕の釣り姿に興味津々だ。魚影は確認できたのだが、残念ながらライズは無し。「天気が良すぎだよ・・・」と僕。
車道がまだ通じていなかった頃、生活道路でもあったいにしえの道は、巨岩の点在するけっこうな勾配の坂道だ。1月の雪折れか広葉樹の太い木がバキバキ折れている。その倒木のアカメガシワから新芽が吹き出ている。ヤマカガシが道のど真ん中で腹を膨らませて飲み込んだノネズミ(たぶん)を消化中。
神流川対岸の埼玉県側に登り、H集落の地形を眺めたりする。途中の集落では廃屋が何軒もあった。
ついでに神泉村まで降り、松田マヨネーズの経営する自然食レストラン&ギャラリー「ななくさの庭」へ立ち寄る。6月くらいから再開すると聞いていたが、M社長がピザの調理場を建設中。Y店長は浅草合羽橋まで道具の買い出し中だそうだ。「久しぶりにあの歌声聴きたいなあ」というM社長のリクエストで、ななくさピザ窯のオープニングでわが「SHIZUKU」ライブをやることになりそう。ここは僕らの個展デビューの記念すべき場所。んー、やっぱ季節がらボサノバでしょ。ギター練習しとかなきゃ。
夜は焚き火で焼き肉。前菜にサラダ。そういえば次回の連載原稿に「焚き火」のことを書くので藤岡図書館で『焚き火大全』(創森社)という本を借りて読んでいる。多数の執筆者による本だが、皆さん熱いですね。「二〇世紀、日本は経済発展の極みを刻んだ。もう行きつくところまで行ってしまった。そして二十一世紀、これからの日本は『自然』だとか『心』だとか、今まであまり顧みられなかった分野へもの凄い勢いで戻っていくような予感がする。そのときこそ、この『焚き火』がまさにその導火線の一つになるだろうことを確信している」(同書P.280)・・・同感である。
しかし、熱い言葉を吐く編者のひとり、関根秀樹氏がやたらと広葉樹の薪を礼賛し、スギをはじめとする針葉樹薪をけなすのはいただけない。もちろん堅木の広葉樹の薪はすばらしいのであるが、広葉樹のいい薪はそう簡単に手に入るものではない。しかしスギやヒノキの間伐材、その葉や枝はいま日本の山に腐るほどある(いや、実際に腐っているのだ!)、最も簡単に入手できる薪なのだ。この薪をどう利用するかは、とても重要なことに思える。
実際、わがアトリエでは、いま炊事薪にはほとんどこのスギ薪を利用して快適である。関根氏は「スギでは熾(おき)ができない」と書いているが、そんなことはない。スギの熾炭を水で消して乾かし、ストックして室内の火鉢の暖房に、囲炉裏に、外でのバーベキューに利用するのは便利なことである。
スギのいいところは軽さ、薪の割りやすさである。伐採も楽だし運び出すのも簡単だ。スギはマサカリで大きく割った後、ヨキなどで細かくさばいておくと、乾燥も早く、炊事薪として重宝する。スギ薪は爆ぜやすいが、小さく割るとその性質が弱まる。人工林の林内に落ちているスギ枝はノコで少し切れ目を入れると手で折ることができる。小さく束ねたそれも便利な薪である。アトリエにはいまだにガスレンジを持たない。昨年9月に定住してから、およそ9ヶ月、ほとんどすべて薪で調理している。
このような針葉樹の薪の使い方が一般化していないのは、それらは建築材料として最高のものであり、かつての山村ではスギやヒノキの葉・枝・端材でなく幹本体を薪にするなどということは考えられなかったからである。いま僕らは焚き火においても新しい時代にいるということだ。