忍木菟屋のトイレは汲み取りで、近所の人たちと同じ周期でやってもらうと便利なので、それで近所の係のおばあさんHさんがが訪ねて来てくれた。畑のダイコンやキュウリを持参で。しばらく世間話する。その後、昨日カミナリで待避したオーディオ狂のIさんが「カミナリ豪雨で花が倒れちゃったからあげるよ」と、切り花を持ってきてくれた。ここ桐生では、土日は社交場と化すのであった。こうして、周囲の状況がいろいろわかってくる。
花を花瓶に生けた。それを格子戸越しに見る。格子戸すばらしいな。いままで実感としてわからなかったが、これも日本の木の文化の最高峰だな。
昼は井戸の水で冷たく締めたうどん。旨い! もう井戸の水がかなりよくなってきているので、保健所の検査など待たずに飲んだりしている。夕刻は貰い物のジャガイモで肉じゃが。まだ台所の改装ができていないので井戸端で調理。これがけっこう楽しい。途中でお隣のKさんが「貰い物なんだけどあげるよ」とインゲンを持っていきてくれたので肉じゃがに投入。
Hさんちにも井戸があるのだが「もうポンプ(電動)がしょっちゅう壊れちゃって使ってないんだよ」とのことだった。80代の彼女はすべての畑の管理もままならず、「もう除草剤まいちゃおうかな」などと言っている。やっぱり手こぎがいいよ、井戸は。
過疎だらけの日本の山村・里山では、このようにして「山林田畑放置」「薪つかわない」「井戸・沢水やめて塩素水道使う」「家まわりと放置畑に強力除草剤散布」ということが行なわれている。それがひしひしと伝わってくる。これをなんとかしなければいけないと思う。
一方、周囲には新建材の現代住宅建築の家があり、24時間換気の音がしている。密閉型の家は風が入らないが、この忍木菟屋の家は掃き出し窓が両側にあるので、風がよく通る。旧アトリエとちがうのは、ここは沢沿いなので気持ちのいい風が常に流れていることだ。もちろん扇風機も冷房装置もいらない(持っていない)。だけど、周囲の人たちの暮らしぶりをみると、この沢風を満喫しているように思えない。閉塞したなかでテレビを見ている。何故だろう?
私たちはテレビは見ない(持っていない)。代わりに炎を眺める。チビカマとガチャポンはなかなかいい組み合わせで、この配置がとても使いよく、気に入っている。薪の火は火通りがよく、すべての料理を美味しくすることを、ここに来てあらためて実感するのだ。
夜、火を焚いていると庭にホタルが一匹やってきて、しばらく止まったまま明滅していた。そして飛び立つと、忍木菟屋の屋根の上空を飛んでいった。
「ありがとうホタル」
井戸の水の匂いに誘われたのかもしれぬ。