京都四国旅(6.京都の底力)


山鉾巡行の終わりはあっけなく、デパートの階下へ降りると人の波が引き始めている。後を追うように町中を彷徨うが、すでに有料観覧席あたりも人は散っており、遠くお囃子の音を聴きながら、市内歩きを続けることにした。そこで出くわしたのが山鉾の解体現場。その日のうちに解体か、忙しいな。
これが辻回しに使われた敷き竹だ。

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そして木組みの車輪。

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車輪はまずキリンジャッキで持ち上げ、両側からテコ入れで外していた。そして馬を当てがい、本格的なバラしへと進んでいくようだ。ケヤキの梁から鉄輪を外しているところ。鉄輪は木の割れや角の破損を防ぐ重要なパーツだ。

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そしてこの馬に注目してほしい。上部はアカマツ、足の部分はヒノキではないだろうか。ほぞ組みでカシの込み栓が打たれている。この四方に開いた難しい角度にすべてがすき間なく収まっている。足の先にはやはり鉄輪が打ち込まれている。この鉄輪さえ、角度を保持して作るのは大変だと思うが。この馬4つが10トン以上ある山鉾を支えるのだ。

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縄縛りのテクニック。強く合理的なだけでなく、見た目も美しい。

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この山鉾の組み立て解体は、ほとんどが人力で行われている。というのも、京都の町は路地が狭いので大きな重機が入りにくいのだろうし、なにより重機のない時代から連綿として同じ作業が行われてきたのだろうから。

祭りで目の当たりにするこれらのテクニックは、いわば町に降りた山の技術(縄文の技術)といっていいのではないだろうか。一つまちがえば大けがをしかねないこの組み立てと解体。ここで主導権を握るのは長老と、力加減と分別と経験を有する大人たちであり、それを祭りを通して肌身に感じながら、京の子供たちは育っていく。こうして祭りは、京都人の底力を生み出しているのだ。

夜、神輿を少しながめる。そしてホテルで久しぶりのベッドに身を横たえる。

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京の若者たちは幸いかな。


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