阿蘇の山麓にある高森町の「阿蘇フォークスクール」で夕刻から私の講演が始まる。それまでの時間、虎丸さんとそのお仲間に「森の遊園地」の敷地を案内してもらう。
関東の人間にとっては、カシ類など照葉樹の樹種が豊富で、アカマツが見当たらないことが新鮮だ。虎丸さんたちはここで子供たちに森や野遊びを体験してもらう活動を長く続けられ、植えない森づくり(強度間伐による樹種誘導)を実践してこられたのである。
野外舞台には囲炉裏もある。
このように、実践的な森づくりの手法は、民間人が独自で行い、発信しているのが日本の森の実情である。
国の機関(独立行政法人 森林総合研究所)というものがありながら、その研究はこれまでほとんど役立たなかった。現在の国有林の実態が、それを証明している。
日本の自然にそぐわないドイツ林学を受け入れ、戦後の復興期に林業バブルを味わってしまい、チェーンソーと重機によって奥山を破壊してしまった。間伐にしても「環境林を取り戻す」という発想はごく最近言われ出したに過ぎない。それまでは「収量比数」という概念で、できるだけ多くの木を山から収奪するための間伐管理を、国は勧めてきたのだ。
本来なら「鋸谷式間伐」のような概念は、国の研究機関から出て当然なのだ。
林内で記念写真。
虎丸さんとそのお仲間に誘導してもらって、車で阿蘇へ向かう。講演は昔の小学校の木造校舎を再生した教室の一室で。今回は間伐の話も入れたので、1時間半という長い講演になった。
その後、お隣の教室に準備された囲炉裏と田楽とカッポ酒を味わいながら、SHIZUKUの紙芝居ライブを1時間ほど。そうして、私たちもようやく宴席に着くことに。
主催者の山口夫妻と。
そこかしこで、私の新著は”田舎暮らしのバイブル”のように読まれているようで、本にサインを求められる。地元の方々や、阿蘇に茅葺き民家用の茅を刈りに来ているグループの方々とも交流し、宴は多いに盛り上がっていった。虎丸さんは私の話も音楽もじっくり聞いて、最後までつきあってくれて、固い握手を交わした。