事故当初からレベル7だったと小出先生は言った。その証拠となる、事故後すぐに現地入りした原発ジャーナリストの報告。
「取材班が取材に入った13日は、3号機が冷却機能を失い、原子炉格納容器の圧力が高まっているとして、放射性物質を含んだ蒸気を外部放出した直後の時間。このため、放射線 の計測器の値は非常に高く、原発から4キロ離れた双葉町役場では携帯していた3種類の計器はすべてメーターが振り切れた。最も高い値を計測できる計器は1000マイクロシ ーベルト。」
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さて私だが、いま四国に一時待避している。13日、14日と原発事故の様子があまりにも危機的に感じたのと、計画停電(無計画停電だが)とガソリン不足が、仕事に支障をきたすと思ったからだ。
そもそも新著が完成したら四国旅行をするつもりだったのだが、200ページ超の新著が最後の詰めに入ったところ、15日の朝「あとがき」を書き上げて、デスクトップのパソコンを軽バンのアクティ君に積んで昼に桐生を出、軽井沢から木曽路まわりで途中路の駅で車中泊、2日間で四国に到着した。
事前予告のあまりにも不備なまま停電を決行した東電のやりかたは、恐ろしく、非情なるものを感じた。仕事中に突然パソコンの電源が落ちたら、膨大なデーターが消えてしまうことにもなりかねない。
14日には桐生のスーパーから米やパン(納豆までが・・・)消えており、15日にはガソリンスタンドに長い行列ができていた。桐生市内の信号は停電で消えているところがあり、その交差点には警官がまったく出ていなかった(この停電で交通事故死者が出た)。ようやく軽井沢でガソリンを補給できたが、10リットル制限だった。
四国は実にのんびりしていた。ガソリン制限もなく、スーパーも平常。おがけでストレスなく最後の仕上げをすることができた。最初は高松のホテルに連泊し、その後yuiさんの実家(高松のアーケード街にある)にお世話になっている。それからというもの、新著の校正をする傍ら、ネットでこの原発事故の情報を追い続けているというわけだ。
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昨夜から今朝にかけて「放射能放出以降、東京含めて関東全域で幼児、若者たちに鼻血症状が出ている」というツイートが多数みられた。事故当初からレベル7だとすれば、関東地方も広範囲に被曝しているにちがいない。ツイッターに「関東に黄色い粉が降った 正体は杉花粉という報道は3月24日。この後、喉やられたり鼻血激増 高い放射能が含まれていた」(by tokaiama)とある。
東京の杉並で6.0μsv/hという驚くべき値が測定された映像がYouTubeにアップされている。
さて、出版業界も紙・インク不足で大変だ。私の本業の先行きも不安になってきた。あとは表紙デザインの上がりを待つだけになった。ともあれ新著の出来上がりを待ちたい・・・。
せっかく讃岐にいるので・・・うどん画像をアップ。
五色台にて。