森のこと(2)/まちがった植林事業


ああ、また始まった・・・・┌┤´д`├┐。

「植林事業、広葉樹も仲間入り 林野庁、強い森づくりへ」

スギやヒノキなど針葉樹だけの植林を戦後の森づくりの中心としてきた林野庁が、カシ類やシイ、タブ、クリ、コナラなどの広葉樹も混植する事業に乗り出した。

「鎮守の森」に代表されるその土地本来の植生を再現することで、災害に強く、地域経済にも貢献する森づくりを目指す。広島県呉市の国有林で6月、第1弾が植樹された。

植樹されたのは呉市川尻町の野路山国有林の0.65ヘクタール。標高770メートルで、台風で荒廃した場所だ。現場では、宮脇昭・横浜国大名誉教授(81)が林野庁職員らを指導していた。(アサヒコム2009年7月11日

タイトルだけ見ると、いかにも環境に良さそうな雰囲気が漂う。しかし、奥山をさんざん破壊して膨大な単一植林を推進させたあと、それを放り出して土砂崩壊を招いている。そのツケの決着もつけぬまま、たった0.65ヘクタールのお手盛り植林美談で逃げる林野庁。それをさらに美談化する大新聞。そして壇上にはあの宮脇昭大センセイ。

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森のこと(1)/山づくり(鋸谷さんとの共著)9刷


カナダでのトウヒ(針葉樹)森林での話。

トウヒの森は40年から120年のサイクルで害虫(ハマキガの一種)の大発生がおきる。すると森に光の穴が空き、その害虫を食べる鳥や昆虫が増えてその害虫は激減し、ふたたび森の再生が始まる。

ところが木材原料を枯らしたくない人間はDDT農薬でその害虫を先に殺そうとした。すると森の密度が高くなり、害虫を食べる鳥や昆虫が中に入れなくなって、さらなる害虫の大発生を招いた。

そこで今度は、有機リン系のフェニトロチオンを何万エーカーという北方樹林に散布した(1970年にカナダ政府の指導による)。するとこの薬剤はブルーベリー産地のマルハナバチを殺してしまうことになった。受粉バチを失ったブルーベリーの生産高は何年も激減した。(『ハチはなぜ大量死したのか』ローワン・ジェイコブセン/文藝春秋2009))

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日本のマツ枯れ防除の薬剤散布でもずいぶん被害を受けた虫たちがいたのだろうな。

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明日なき森


桐生の里山に暮らし始めて、夜に飛来する虫が異常に少ないことを書いた。これは農薬・除草剤・室内外殺虫剤が下手人であるとにらんでいた。が、旧アトリエでも虫が少ないことが判明した。

実は前回の6/29でもは感じていたが、まだアトリエ滞在中の晩春はけっこう虫たちが灯火に来始めていたから、桐生が異常なのだと思っていたのだ。ところが、今回の夜、灯火にやってきた虫たちはごくわずかだった。5年間暮らしてこんなことは一度もなかった。ネットで検索してみると、全国的に、虫の少なさのに異常を訴える人たちがいるようだ。

みなさんの地域はいかがですか? ぜひ書き込みなどで教えてください。

さて、今回出がけに桐生図書館で重要な本を借りて持ってきていた。後藤伸さんの講演録『明日なき森』(新評論 2008)である。後藤さんは教員生活をしながら紀伊半島を徹底的にフィールドワークし、その特異な生態系の解明に尽力された人である。惜しくも2003年に73歳で他界された。

暖帯寒帯の両種が混在する不思議な熊野の森を書いたその文を、私はどこかの図書館で読んでいて、その魅力的な森の深みに引き込まれた記憶がある。著者名が思い出せないまま、ずっと時間が過ぎてしまっていた。本書の巻末「著作・報告書一覧」からすると、1993年の『日本の自然 原生林紀行』(共著/山と溪谷社)だったのかもしれない。

それが、私の本の読者からメールをいただいて、この本を発見したのだ。これまで後藤さんの名を得ることができなかったのは、単著が『虫たちの熊野』(2000年)という本のみで、これが紀伊民報社という地方の出版社であるため、図書館に入りにくかったからだろう。そして後藤さんが他界された後「熊野の森ネットワークいちいがしの会」の有志の手によって、昨年の10月に、本書が刊行されたのである。

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京都四国旅(10.海と松)


私たちが四国本州間を行き来するとき、毎回お世話になるのが宇高国道フェリー。軽自動車片道2.300円で搭乗人員の料金はなし。つまり軽で2人で旅するなら一人1,300円で海を渡れる。

四国を離れるとき、私はいつもデッキから屋島をぼんやり眺め、お別れする。

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