失うものは何もないのだから


「桑田圭祐の『月』がいいからぜひ歌ってほしい」と言われてカラオケで歌えるように練習w。こういうの、調べて覚えるのにYouTubeはめちゃ便利だぁ。で、いろいろ探していたら桑田くんのラヂオの生ギター録音シリーズがアップされていて面白いんだわ。これどうよ「弾き語り生歌 ボブ・ディラン – 風に吹かれて」。ぐっとくるよねぇ(2012.4現在、削除されました/泣)。

ボブ・ディランといえば、私たちの世代が最初にその名を知ったのは、オリジナルソングではなくガロの「学生街の喫茶店」の歌詞の中ではないだろうか。「片隅で聴いていたボブ・ディラン♪」

浜田省吾の畢生の名曲「路地裏の少年」の中にもディランの曲が出てくる。「古ぼけたフォークギター窓にもたれて、覚えたての『風に吹かれて』♪」という詩があるのだ。

「路地裏の少年」なんて、カラオケスナック(演歌だけがほぼ9割)のジサマ・バサマの前で歌ったって、誰も知らない。ところが、やっぱり歴史的名曲っていうのは世代を超えたオーラがあるらしく、無視されず耳を傾けてくれたりする。「ええ曲やな・・・」などと、見知らぬ皺だらけのオバチャンが声をかけてくれたりするのだったw。

ディランは長らく無視していた。でもやっぱり聴いてみるか、と『追憶のハイウェイ61 』を買ってみた。「 ライク・ア・ローリング・ストーン」が、凄かった。雷に打たれるような曲というのがあるのだ。コード進行の単純さを消し飛ばしてしまうような、言語を超えた言霊が魂をぐらぐらと揺さぶるような曲というものが。

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この曲は、ある人の死と「自分を貫いて生きる」という試練を介して、私に忘れ難い思い出を作ってくれた。

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衰退する竹林、マツ枯れの遷移


「とにかく香川の山は竹が多い。飛行機が高松空港に着陸するとき、上空から竹に覆われた山の斜面がたくさん見えてぎょっとするほどだ。管理放棄された竹山が地下茎でどんどん広がって他の樹木を侵食していくのである」

~これは今から10年前、2001年の5月に高松に降り立ったときの日記の一文である。その後、香川は毎年のように訪れて、荒廃竹林の行方を観察していたが、今年は今までと違うパルスを、信号を山々から感じた。

それは竹林が衰退し始めているのではないか、という感覚である。

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桐生の巻き枯らしとモンゴリナラ


桐生市内の宮本町にある「桐生断食道場」Fさんのお招きで建物や敷地の森林などを見に行ってきた。先日忍木菟屋においでになり、私たちの囲炉裏を中心とした暮らしぶりに感銘されたご様子で、鋸谷式間伐の本もよく読まれており、敷地をみたりいろいろアドバイスしてほしいという。

敷地は吾妻山から続く緩斜面で、雑木林の中を作業道を入れ、開墾して畑などもあるが、イノシシの被害がかなりあるようだ。またシカ食害の被圧もあり、稚樹が育っていないところが多い。スギの人工林ではすでに巻き枯らし間伐が行なわれていた。いま市民グループによる「皮むき間伐」の運動が起こっており、ここ桐生でもすでに実践されていたのである。

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ナラ枯れ侵入


ついに群馬県にナラ枯れ侵入。上毛新聞トップ記事。

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原因はカシノナガキクイムシと樹木の老齢化? だから蔓延をふせぐために被害木の伐倒と処理、そして昔のように若い木を使い回していく里山循環を奨励する。21本の伐倒処理だけで数十万円。殺虫処理は別料金で直径40cm当たり1本1万3千円かかるとか。

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花園神社、みんみん


水戸の実家に寄ってから磯原へ行く。花園山周辺をひさしぶりに見たいと思った。磯原で皇祖皇大神宮に参拝したあと花園神社へ。山王権現の神仏習合の名残りで仁王門がある。

奥の拝殿に猿の彫りがあるのは、琵琶湖の大津にある日吉神社から勧請したからだ。信長の焼き討ちにで日吉大社も灰燼に帰したが、その後の秀吉は復興に尽力した。秀吉の幼名が「日吉丸」あだ名が「猿」であることから特別な神社と考えていたという。

花園の猿ケ城渓谷はかつてシャクナゲの群生地であったというが、ほとんど盗掘されて今は見られない。ここには佐竹の殿様が落ち延びた逸話が残っている。頼朝が挙兵をしたとき、常陸の佐竹は源氏の流れであるにもかかわらずそれに従わなかった。義経と再会を果たした富士川の戦いで頼朝は勝利を得たが、その後まず東国を平定すべきと佐竹を追った。金砂城は落ちて佐竹秀義は奥州花園へと逃亡。そして渓谷の洞窟で猿に食料を貰いながら生きたと伝えられている。それが花園山の猿ケ城渓谷なのである。

「東金砂山・西金砂山・真弓山・竪破山・花園山などの山岳寺院は、いずれも日吉王権現を勧請して守護神としたという開山の縁起をもっている。そして猿は、日吉山王権現の神使とされているのである。したがって、秀義が花園山に逃がれて猿ケ城の猿に助けられたというのは、花園山の日吉山王権現の加護を受けたことを物語る」(志田諄一『常陸五山の山岳信仰』筑波書林 1988)

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