失うものは何もないのだから


「桑田圭祐の『月』がいいからぜひ歌ってほしい」と言われてカラオケで歌えるように練習w。こういうの、調べて覚えるのにYouTubeはめちゃ便利だぁ。で、いろいろ探していたら桑田くんのラヂオの生ギター録音シリーズがアップされていて面白いんだわ。これどうよ「弾き語り生歌 ボブ・ディラン – 風に吹かれて」。ぐっとくるよねぇ(2012.4現在、削除されました/泣)。

ボブ・ディランといえば、私たちの世代が最初にその名を知ったのは、オリジナルソングではなくガロの「学生街の喫茶店」の歌詞の中ではないだろうか。「片隅で聴いていたボブ・ディラン♪」

浜田省吾の畢生の名曲「路地裏の少年」の中にもディランの曲が出てくる。「古ぼけたフォークギター窓にもたれて、覚えたての『風に吹かれて』♪」という詩があるのだ。

「路地裏の少年」なんて、カラオケスナック(演歌だけがほぼ9割)のジサマ・バサマの前で歌ったって、誰も知らない。ところが、やっぱり歴史的名曲っていうのは世代を超えたオーラがあるらしく、無視されず耳を傾けてくれたりする。「ええ曲やな・・・」などと、見知らぬ皺だらけのオバチャンが声をかけてくれたりするのだったw。

ディランは長らく無視していた。でもやっぱり聴いてみるか、と『追憶のハイウェイ61 』を買ってみた。「 ライク・ア・ローリング・ストーン」が、凄かった。雷に打たれるような曲というのがあるのだ。コード進行の単純さを消し飛ばしてしまうような、言語を超えた言霊が魂をぐらぐらと揺さぶるような曲というものが。

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この曲は、ある人の死と「自分を貫いて生きる」という試練を介して、私に忘れ難い思い出を作ってくれた。

▼2004.2.16の日記から。

家に戻ってネットをチェックしていると、愛知の女性林業家Oさんが亡くなられたことを知った。享年73歳。Oさんには手彩色の名刺デザインを頼まれたことがあり、愛知鳳来町のご実家に泊らせていただきながら、山を見せてもらったり、いっしょにアユ釣りを楽しんだりした思い出がある。Oさんは家業の林業に関わる中で、その思いをエッセイにしたため単行本を出版されたりした。名文家であった。

鳳来町の0さんの元に立ち寄ったのは、未来樹2001の高山での最後のイベントの帰りであった。そのイベントは、一緒に会を立ち上げたリーダーと意見が折合わず訣別した直後で、参加者は集まらず、イベント先でも冷たくあしらわれたりで散々であった。なんとか仕事を成し遂げ、その晩は一人で高山のビジネスホテルに泊った。嬉しかったのは、唯一地元の新聞の女性記者が、未来樹2001の活動を好意的に書いてくれたことだった。

その新聞を手に、ひとり淋しく打ち上げのビールを飲んだ後、夜の高山の町を彷徨っていると、駅前の雑居ビルがなにやら騒がしく、上の方から聞き覚えのある曲が流れてきた。ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリングストーン」だった。その音のシャワーを僕はしばらく路上で浴びていた。

昔 あんたは いい服を着て
若かったとき 乞食に銭をほってやったね
みんな言ってた「気をつけろ落ちるぞ」と
でも みんなでからかっているだけだ と
思っていただろう
よく 笑い者にしたね
うろついてるやつらを
今 あんたは大声でしゃべらない
今 あんたは自慢もしない
次の食事を どうやってごまかすかについて

どんな気がする
どんな気がする
うちが無いことは
ぜんぜん知られぬことは
転がる石のようなことは

音に誘われるままに階段を上がっていくと、ビルの一室で地元のアマチュアロックバンドの集合ライブをやっているのだった。暗がりの中に紫煙が上がり、人々がごった返している。入り口のお姉さんが、目の前に立つ場違いな男の顔をじろじろと見る。芯の強そうな、美しい人だった。僕はデイパックに入れていた新聞を思い出した。

「実はこういう者なのだが、宿に戻るまで時間があるので、よかったらライブを聴かせてもらえないかな?」

お姉さんは新聞のイベント記事をしげしげと眺めたあと、

「・・・いいよ、入りな」

と、僕をタダで入れてくれた上に、紙コップのお酒までくれて、奥の席へと案内してくれた。

ディランの歌はこう続く。

何もない時は
失うものは何もないのだから
あんたはいま透明だ、あんたにはいま秘密がなく
隠す必要もない

「転がる石のように」自分の足で立て、主体的であれ! 大切なのは真実なのだ──あのときディランの歌は、僕にそんなメッセージを投げかけていたように思う。

仕事部屋の電気を消してロウソクを灯し、Oさんを哀悼していると、辛さと嬉しさがないまぜになったそんな孤独の日々が、閃光のように思い出された。Oさんには新著を渡せずじまいであったのが、とても残念である。合掌。

このときの新著とは『図解 これならできる山づくり──人工林再生の新しいやり方』のことだが、そうしてその延長上に、今回の新著『「植えない」森づくり~自然が教える新しい林業の姿』がある。私は今も走り続けている。あのお姉さんは今、どうしているだろうか?


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