那智の滝周辺の崩壊地を巡る


下の写真は2003/11/8「那智の滝」を訪れたとき、私が撮影したものである。

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初めての熊野への旅であった。

まだ群馬の山暮らしを始める前で、鋸谷さんとの共著、私の2冊目の著書になる『図解 これならできる山づくり~人工林再生の新しいやり方』(農文協)の最終原稿を書き上げた直後だった。

最期の文章(鋸谷さんとの連文の「まえがき」)を書き上げて出版社に送り、その文書やイラストのコピーも車に積んでいったのである。単行本の最終取材という意味を込め、この旅の間に本のタイトルを考えねばならない、そんな思いを込めて敢行した旅であった。

五条から十津川街道へ入り、天河弁財天に立ち寄ってから十津川村に入り、歴史民俗資料館を見た。玉置神社の天然の巨杉群落に圧倒され、瀞峡から熊野本宮に行こうとすると通行止めになっていた。私はそのときの日記にこう書いている。

「ここは崖崩れがとても多いようだ。ここまでに何ケ所も崩れたところを見かけたし、復旧工事の対向車待ちで10分ほど待たされたこともあった。これだけ急峻な山に大量に人工林をつくり、そのほとんどが間伐遅れの山なのだから、今後はますます崖崩れが頻発することだろう。考えてみれば、恐ろしいことである」

しかたなく東に進んで熊野の海岸線に出、七里御浜の海岸でキャンプした。翌日、新宮で「浮島の森」や「神倉神社」の石段を観て、那智の滝に向かった。

あれから何度か熊野を巡ったが、那智の滝はそのとき以来、実に10年ぶりだったのである。しかし、このようなかたちで再訪しようとは。

ほとんどが水に浸かった那智の滝の下流の集落。今は土砂が寄せられ、元の暮らしが営まれている。

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那智の滝。10年前の震えるような感動はもはや全くない。この上流に広大な人工林地があることを知っているからだ。

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支流にある金山集落の崩壊地。

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棚田を持ち、海か望める、雲上の山岳集落。魂をわしづかみにされるようなすばらしい集落であったが、今は誰もいない。今回の災害を期に全民離村するという。

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途中の道々に荒廃林がそのままに土木工事が進められている。

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那智の滝の水源林を見渡せる場所に行ってみる。人工林だらけなのであった。

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もちろん崩れているところ多数。ここは堆積岩と火成岩が接している場所で、那智滝の源流はすべて火成岩(花崗班岩)である(硬いから残って滝の多い険しい地形になっている)。台風12号で大きく崩れた(「深層崩壊」と表現された)所とは趣きがちがう。皆、表層崩壊である。

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巻き尺で樹高を測ったり、釣り竿でいくつか密度を調査した。

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それにしても・・・

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このような荒廃人工林の崩壊地が那智の滝の水源にあるとは、誰も思うまい。那智の滝のすぐ横に「那智原始林」という国指定の天然記念物があり、一帯はユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の一部なのであるから。しかし、この原始林でさえ実は戦前から手が入っており、終戦直後の米軍が撮った航空写真では禿げた部分がかなりあったという。

1911 年(明治44年)南方熊楠は那智山について、

「霊山の滝水を蓄うるための山林は、永く伐り尽くされ、滝は涸れ、山は崩れ、ついに禿げ山となり、地のものが地に住めぬこととなるに候」

と書いている(神社合祀に反対して植物学者村松任三に訴える「南方二書」から)。既に明治期に山林荒廃の引き金が引かれたようである。

この広大な人工林は、明治期の富国強兵政策から社寺林を国有化したことに始まり、下げ戻し訴訟で村と神社に所有権がすったもんだし、村も神社も裁判費用捻出のために乱伐、かくして熊楠の激怒文となったらしい。

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現在500haの源流域の内、わずかに国有林が広葉樹二次林(70ha)を、その他大部分の人工林は民間の造林会社「松本林業」が(220ha)、そして民間の「木原造林」から寄贈を受けた「明治神宮」が社寺林として所有している(200ha)(他に那智大社が10ha所有)。人工林率は85%である。残念ながら、今のところ所有者には、この災害を期に環境林へ改変するという考えは見られないようである。

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沢を挟んで国有林の広葉樹二次林と荒廃人工林が対峙している場所を下っていった。両者の林床の状態は際立ってちがっていた。荒廃人工林は表土が流れ、石が浮き、苔が乾燥してパサパサ。一方、広葉樹二次林地は表土が厚くフワフワ。しっとりとして苔が生き生きしている。

もう一つ面白い話がある。熊野川で水をかぶった(天井近くまで水に浸かった)家々のことだが、新建材の新しい家は接着剤の木が膨らんですべて使い物にならなかったが、在来工法の家は建具を替えるだけでよかったというのだ。

これは今回、崩壊地を案内して下さったOさんが、実際に建具の替えに携わった腕の良い職人さんから直接聞いた話だ。

「100年、200年と長持ちする伝統的な木造家屋を建ててきた腕の良い職人に仕事がなく、技術が途切れようとしている。紀州は”木のくに”で昔からいい材木を出してきた。それが需要がなくヒノキの値段が今ではスギの値段より安いのです。腕の良い職人はまだ残っているのですからセンスのある設計士と組んで仕事をすればよいだけだと思っています」

と後にOさんからメールを貰った。


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