午後から小豆島へ。男木島で石垣再生をやったのが知られて小豆島からも声がかかっていたのだが、なかなか現地を見れないでいた。高松から小豆島まではフェリーで約1時間。その発信者が運営しているカフェ「タネむすび堂」は池田港から歩いて5分ほどのところにある。
大麻山を背に、平家の昭和古民家を改装したひっそりとした佇まい。
が、中はアジアンテイストでカラフル。入ったとたんにスパイスの香りが部屋に満ちていた。
ランチがあるので注文。タネむすび堂っていうから在来種のタネ販売とか農業系を含んだ雑貨屋さんを連想していたのだが・・・
出てきた御膳は本格ヴィーガンランチだった。おー、すばらしい!
ひとつひとつ、慈しむように作られた惣菜を、よく噛みしめながらゆっくり味わう。ベジタリアンにとって至福のときだ。高松にはまだヴィーガン対応のレストランはほとんどない。こんな店があったら息抜きがてらちょくちょく行くのだがなぁ・・・
食後に豆乳と雑穀のラテを。
今日は店主が発注した塗り椀の補修を、サトコ氏が届けに来たのだった。
島にかぎらず田舎ではよくみられることだが、漆の禿げたお椀は価値なきものとして棄てられ、ピカピカのプラスチックがありがたがられる。が、漆椀は何度でも補修がきくのだ。店主が島に棄てられそうなそれを救出し、高松に漆塗りの修業に来ているサトコ氏がそれを再生させた、というわけである。
そういえば母屋の手前のガレージにZero Waste(ゴミゼロ)と題した無人のリサイクル販売所が設けてあった。ここで島のお宝を救出もしているのだった。
補修の椀は黒を下地にベンガラ色を上塗り、それを研ぎ出して黒がいくつかわずかに浮き出す。口の部分は布で補修し厚塗り。中身はろくろで彫り出した木椀である。漆は堅牢でかつ使い込むと深みが増していく。ここからまた数十年は使え、歴史を刻むことになるだろう。
それにしても、店主のレイコさんは栃木の足利出身のIターン、サトコ氏も東京から・・・という2人が、小豆島で漆椀の再興をしている。それを書いている僕も北関東の人間なのだけれども(笑)。
移動まで時間があるというので外に出て近所を散策。以前レイコさんが働いていたという有名なカフェ「タコのまくら」。大正時代の古民家を改装したという造り。薪ストーブの煙突、そして窓が面白い。残念ながら定休日。
中から眺めてみたいアーチ窓。
海沿いにしばらく歩いて回り込むと、なにやら石垣群が・・・
パノラマで撮ってみる。なんだこれは??? ここに畑もあるまいし。
祭り見物の「桟敷」であった。そういえば池田港のターミナルは屋根が太鼓台になっている。太鼓台は瀬戸内海沿岸にみられる「山車」の一種で四国では新居浜が有名だが、ここ小豆島もそうだったのか。
香川の瀬戸内の島は石の産地だ。とくに小豆島の花崗岩は桃山時代、大阪城の築城に使われたことで知られる。石垣は花崗岩や安山岩の他に、男木島と同じ黒色の玄武岩も使われていた。
積みの様式、その熟練度もまちまちで、長い時代の中で何度も積み直されたことが見てとれる。ある意味、石垣はたまに崩れることが大事なのだ。結(ゆい)による補修によって技術が受け継がれる。島の自然の深みと叡智が年寄りから若人へ、無言のバトンによって流れていくのだ。
小豆島霊場第33番長勝寺。小豆島には四国八十八ヶ所霊場のミニ版ともいうべき「小豆島八十八ヶ所霊場」がある。全国にはいくつかの八十八ヶ所巡りがあるが、小豆島のものは奥之院を含めた94カ所すべてが空海の開いたものであるという。
隣の亀山八幡宮に異形のビャクシンをみつけた。別名シンパク、イブキ。樹勢が弱く苦しそうだった。たくさんの球果をびっしりとつけている。下に降りてみるとこの小高い岩山の下部の道ぎわにどっしりとしたコンクリート擁壁が作られ、仮設道には分厚い鉄板が並べられているのだった。学校の建設工事が進行中であった。
日本の土木行政の傾向として、島では過剰なコンクリート工事が行われることが多い。タネむすび堂へ戻るみちすがら、池田港に流れる池田大川でカワセミを見た。島にしては奥深い山林をもつ小豆島には、中小の川がいくつも流れている。そのほとんどが海岸線近くでコンクリート護岸になってしまっているが、昔は石積みの護岸だっただろう。
そこには海と川を行き来するカニやウナギが無数にいて、少年たちが川に降りて水遊びをしていた・・・。コンクリート護岸と鉄網で囲まれた川には泥の上に枯れススキがびっしりと生えて、カワセミはその再生を待ち望んでいるように見えた。
車でレイコさんの住居ちかくにある石垣現場に運んでもらい、ご主人のKさんとも合流した。オリーブ公園に近い高台の集落にあるその石垣は、一部の崩れの補修跡があったが、天端が欠けている程度の軽傷のものであった。
それよりも目を引いたのは奥にある果樹である。
臥龍状態の太い木々はスモモであった。海をのぞむ高台の石垣に寄り添い、春に花を咲かせ、毎年実をたくさんつけるという。ここまで太くなるほどに大切に育てられてきたスモモの群。石垣と「大地の再生」をワンセットに手を入れて、石垣下は畑に再生してダイコンをたくさん植えて・・・とプランが頭を電撃のように走る。
その後、家周りを見させてもらう。集落の中も石垣とコンクリートのせめぎ合いが見られる。むかし土石流で集落の一部の家が壊されたことがあり、水路なども直線的なコンクリートで固められたようだった。
池田港まで送ってもらい、待合室で「タネむすび堂」で買ったクッキーやらを取り出して食べていたら、あまりに美味しくて購入した全部を食べてしまった(笑)。
フェリーはガラ空きだった。昨年新造されたというフェリーは上階に展望室もあり、
ゾウさんのメリーゴーランドまであるのだった。この春から5回目の瀬戸内国際芸術祭が開かれる。このコロナ禍でどのような展開になるのだろうか。
将来は地球を救うための仕事をすると心に決めたものの、何から手をつけてよいのかわからず・・・あるとき「日々の食事が自然環境に与える影響力」に目覚め、レイコさんはカフェを始める。
無農薬のコメと野菜、山の水と本物の調味料があれば他に何もいらない。そして祭りのときには山海のめぐみを頂いて、その感動を生き物たちと喜びあう。
島旅はそんな懐かしい日本を思い出させてくれる。