ワークショップ1日目/炎の大きさと炭火の理解、そして山へ・・


今回のワークショップの座学は人数が少ないのでプロジェクターを使わず、ノートパソコンを囲んで車座で。その後、外に出て焚き火の実践。駐車場と建物との間にコンパクトな炉を石でささっと作る。雨がなくとも地面はいつでも湿っているので、ベースに木の薄い板を敷いておく。焚き付けはスギの枯葉。

細かい薪を作る。ちょうどスギの板があったのでイタル君所有のマサカリで割っていく。刃の当て場所や、手の置き方外し方を指導。指が無くなったら大変だから!

この刃物の扱いは人それぞれ微妙である。普段包丁を扱い慣れている女性は案外危険を察知する能力があるが、いきなり刃物を持つ子供や若い男性は危ない。よ〜く事前に説明する必要がある。

それにしても、やはり火というものは魅力的ですごい存在感を発揮するものである。この何気無い駐車場の片隅が、一気に劇的な空間性を持ってしまう。そして、着火までの一挙手一投足に学びがある。映像作家のT君も山暮らしをして日常火を焚いていると思うのだが、カメラを止めてしばらく見入っている。

このサイズは最小の焚き火といえる。火は小さいほど難しい。大きければ火は空気を呼び込んでひとりで勝手に燃えてくれる。が、小さい焚き火は枝の置き方ひとつで炎が消え、くすぶり始めたりする。このサイズが室内の囲炉裏の炎のサイズである。だから、この小さな焚き火が確実にできることが極めて大事だ。

いろいろなところで野外の焚き火に接する機会があるが、たいがい炎が大きすぎる。みな盛大なキャンプファイヤーや、薪ストーブの中の炎のイメージがあるのだろう。しかし、囲炉裏の火は実はそんなに大きなものは必要ない。

小さい焚き火をすると、おのずと皆が火を囲み始め、ゆったりとした気分にひたり、自然に和んでくる。大きな焚き火は戦いの前の熱血を感じさせてしまうが、小さな焚き火はいわば「愛と平和」なのである(笑)。そして裏側に石の壁をもつ囲炉裏暖炉は、最小の炎で最大の効果を発揮できるすばらしい装置でもあるのだ。

イタル君のもつ火鉢が使われていない風情だったので、灰を追加して高さの位置を上げて炭火をつけることにした。木灰のストックがあるというので、フルイにかけゴミと灰の塊をよりわける。

15日に京田辺で行う囲炉裏講習会のために炭を2種持参してきた。それを少し使ってみることにした。炭火もまた、多くの皆が甘くみていることが、最近わかってきた。まず炭の選択が解っていないのだ。

それは炭火が日常使われていないだけに、しょうがないことなのかもしれない。炭を売る側も実際にはほとんどバーベキュー以外の炭火を使ったことがないのだから。まず、イタル君のところで前から気になっていたのは炭火の臭いだった。あきらかに古い炭のカビくさい臭いだった。

今回持参した炭は、僕が囲炉裏暖炉で2日前につくった熾炭と、五名のふるさとの家で今年の秋に買ったばかりの黒炭である。ちょっと知識のある人なら、炭は微細な穴を持っていて、保水力が高く、臭いを吸着する力を持っていることをご存知だろう。

つまり、保存が悪ければすぐに水気や臭いを吸着してしまうのであり、ほぼ裸で納屋や押入れなんぞに入れておいたら、1ヶ月もすればカビ臭い、燃えにくい炭になってしまうのである。ほとんどの人がそんな炭を使い始め、火付きの悪さと火持ちが維持できないことに嫌になって、火鉢をやめてしまうのだ。

「炭の燃える匂いがこんなにかぐわしいことを、今まで知りませんでした」

と、イタル君は言うのだった。そして、バーベキュー用にホームセンターで売っている東南アジアのマングローブ炭は、そもそもこんないい匂いはしないのである。

昼はリンダ嬢のベジ料理で。メインは厚揚げの中華風炒め。美味しかった!

午後は水源と山林をめぐる散策へ。HACHIYADOの上流域に名水がある。不定期カフェを営業しているイタル君たちは飲料や料理にすべてこの水を使っているという。

地図の赤丸がワークショップの行われているHACHIYADO339、青丸が名水の場所。比良山地の南のピークである蓬莱山から一気に琵琶湖に駆け下りる地形をしている。先々月にはこの山に登ってこの地を体感することができた。

琵琶湖比良山系「蓬莱山」登山

帰りにイタル家が所有している山林に入った。彼の家が人工林の山をいくつか所有していることは聞いていたが、実際に入るのは僕も初めてのことだった。

典型的な間伐遅れの線香林で、根倒れしている木々もみられる。下層植生はほぼ消えている。

古い水路の跡を見つけた! もちろん石組みである。

現在の水路は舗装道路の側溝に一直線につけられているが、昔は森の中を石組みで蛇行していたのだった。

この地の名石「守山石」が転がっていた。

皆で薪を拾って帰ることにした。スギの枯れ枝がいくらでも拾える。これが囲炉裏のいい薪になる。こうして、森の再生を考え実践しながら囲炉裏暖炉を燃やす必要がある。そうでなければ、このワークショップをやる意味はない。

ものを燃やすということには、安易な態度でのぞむべきではない。森に行く。枝を拾う。枝を束ねる。それを運ぶ。それを使いやすいように切る。 燃やす。煙を避ける。火の粉に気を付ける。灰を処理 する。薪を採った森の未来に思いを馳せる。そのプロセスを一つひとつを噛みしめることが、大事だと思うのである。森の観察、刃物の使い方、火の扱い、山への思い、すべてが重要なのである。

それは結果的に少々寒かったり、怪我の危険があったり、面倒であったりするけれども、それ以外のところで現代文明を使えばいいのであって、肝心のところはじっくりと苦労し、対話したほうがよい。この使い分けの見極めこそが、新たな文明復興の勘どころではないかと思う。だから「スギ薪+炎の囲炉裏」はオルタナティブな時代の一つの象徴なのである。(拙著『囲炉裏と薪火暮らしの本』1章より)

こうして1日目が終わった。夜は琵琶湖岸のある温泉に入り、イタル君の知人女将のいる居酒屋で琵琶湖と若狭の魚介を味わった。今でもここは、実に実に豊かな場所なのである。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください