沖島の桃源郷へ(2回目、1年半ぶり)


滋賀2日目の朝食。昨日Mさんよりベジ食を言い渡されたので、やっちゃんが気を使って味噌汁の出汁も昆布で作ってくれた。僕が来るというので、前回のキャンプでもお世話になったKちゃんが酵素玄米を炊いておいてくれたという。感謝・・ありがたや!

前回のやけど事件ではMさんの指導で、「2週間は甘いもの、動物食、卵・乳製品、お酒は厳禁」と言い渡され、僕は厳格にこれを守り、禁酒も断行して、傷も良くなったので、ひと月を過ぎた頃から徐々に動物食を解放し、卵やバター、パンや豚肉なども摂りはじめていたところだった。

が、昨日Mさんに諭されてまた強力なベジ食に舞い戻ることになった。それにしても酵素玄米はもちもちして食べやすく美味しい。しかし数日の手間がかかるので自分で作る気にはなかなかなれない。

さて、今日は昨年3月に「大地の再生」で訪れた沖島とOさん宅を再訪する。大地の再生ビフォー〜アフターを確かめるという撮影旅である。まずは沖島へ(前回のレポートはこちら)。

大地の再生ライセンス講座@琵琶湖・沖島

船の中はみなマスク姿。昨年はここまで厳重な感じはなかったが。日曜とはいえ観光客が多いのに驚いた。ほぼ満席である。とくに釣竿を持った若い人が多い。その道具は明らかにルアーロッドでありブラックバス狙いなのであろう。

前回の主宰者だったYさんが港で待っており、自転車を準備してくれた。前回と同じく湖岸沿いの道を案内してもらう。古びた木造家屋に畑が続く道道に、三輪自転車が並んでいる。

右手には琵琶湖。

前回見た旧小学校の崩壊跡地は工事が終わってすっかりきれいになっていた。

講座のなかで矢野さんがクワで水脈掘り起こしの実践を見せてくれた場所は、コンクリートと砕石できれいに工事されてしまっていた。湧き水は、コンクリートの中にある塩ビ管の中から細々と垂れているだけだった。

すごい量感のコンクリートによる新たな擁壁。崩れた石垣の石を埋め込んでいるので見た目はいい感じなんだけれど地下浸透のことはまったく考慮されていないようだ。

この山側には「急傾斜地対策事業」として昭和60年竣工のコンクリート擁壁がある(その上のヤブには埋もれている石垣が見える)。ダブルで土中の空気を止めてしまっている。

それだけではない。コンクリートは雨水によりアクを流し、琵琶湖が近い場所では湖の微生物や藻類に悪影響を与えるだろう。また現在のコンクリート原料のセメントには多量の廃棄物が使われる傾向にある。具体的には「廃プラスティック・汚泥・ガラス陶磁器のクズ・煤塵・償却灰・汚染土壌・動物性残渣・・・」などである。

セメント業界、循環型社会に貢献−廃棄・副産物を再利用(『日刊工業新聞』)

ではどうすればよかったのだろうか? やはり崩れた石垣を積み直すべきだったと思う。地元の人たちや、島の学校に通う子どもたち、両親などの協力で。崩れた石垣を積み直すことで技術は伝承される。

崩壊地は安定した地形になっているので、その地形(水脈)を大きく変えないように石垣を再編する。重要なのは水脈における最下流の出口(つまり琵琶湖の湖岸)を確認し、確保することだ(その後の草刈りなどのメンテも重要)。

「大地の再生」講座で全国を回っていると、現在の建築土木工事ではこの水脈視点がすっぽり欠落していることにしばしば驚かされるのである。その先の新たに作られた小学校の敷地もそうだった。

建物はノスタルジックな木造の新築ですばらしいとは思うのだが、裏手のコンクリート擁壁周りの水脈の処理がお粗末すぎる。

コンクリート擁壁の上にはU字溝が設置されているが、土砂詰まりを掃除した跡がある。

沖島は平野がほとんどなく、湖岸からすぐに山の斜面になっている。山の地下水を含めた水脈の流れが、大地を削らずに程よく琵琶湖に流れ、浸透していくことが重要で、ひいてはそれが山林を保全し、あらゆる生活や産業の基盤となる。

地理院地図より

コンパクトな自然をもつこの島は、子どもたちとそれを学ぶに最適な環境であると思う。もう一つ気になったのは、島に上陸してから帰船するまでのあいだ、焚き火の煙や匂いをまったく見なかったことだ。Yさんの話では島の人たちが焚き火にはナーバスになっており、外部から来たボランティアなども火を燃やすことができないという。

さらに進むと畑が切れる。かわいい物置(?)に沖島にもありました「飛び出し小僧」♫

というわけで、ここはシルバーのボランティアさんと月イチの作業をしている休み場所なんだけど、丸太のベンチの周りにもファイヤープレイスの気配がない。ここに三又囲炉裏を置いて、枯れ枝で煮炊きしたらいろいろ片付くし燃料代もかからず暖かいものが飲食できて楽しいのになぁ・・・。、

前回「大地の再生」講座で皆と作業した場所に着いた。この上にはかつて沖島唯一の棚田があったのである。いまも石垣のきわから水が滔々と流れ出ている。

沖島で最も自然が残る、そしてこれからも可能性をもつすばらしい場所といえるだろう。Yさんはここで養蜂をする夢を描いている。

周囲にまだコンクリート構造物はできていない。ちょうどワンドになっており、山の水脈が琵琶湖に出会う場所であり、藻が発生している。魚たちの産卵場であり揺籃の地となっている気配がある。

「山暮らしができる大内さんのお弟子さんをここに送り込んでもらえませんかね」

とYさんが冗談めかして言う。

「いや、本人が掘っ立て小屋でも立てて移住したいくらいだよ」

と僕が答える。

月イチの作業では草刈りすらとても追いつかず、田畑の再開にはまだまだ時間がかかりそうだが、そこかしこに柿や柑橘がたわわに実をつけており、イシガケチョウが目の前をかすめ飛び、太いスギの風倒木が「使ってください」とばかりに横たわっており、僕の目からすれば「桃源郷」にしか見えない(笑)。

港に戻り、船の時間を気にしながら魚介を盛り込んだうどんやおにぎりセットを食べていると、島の漁師さんから買い付けたという様々な魚介(ビワマス、ニゴロブナ、アユ、モロコ、ゴリ、エビ類)を手に、Yさんが駆けつけてくれた。

淡水域で人が暮らす(しかも現役で漁業が営なまれている)日本唯一の島、沖島。次回は皆で作業して石積みや焚き火をやらせてもらえるといいな・・・。


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