高速道路が琵琶湖の東側に入ると、まず近江富士とも呼ばれる三上山が見え、高速の出口から琵琶湖畔に近づくと対岸の比良山地の連なりが見えてくる。その上部は冠雪しており、ここが日本海側の季節風の影響化にあることを教えられる。
大地の再生ライセンス講座の初日は琵琶湖に浮かぶ「沖島」である。島へは近江八幡市白王町の堀切漁港から定期船が出ており、待ち合わせ場所は渡船者用の駐車場だった。乗船時間はおよそ10分(運賃500円)、運行は朝の7時から夜の9時まで1日12往復と結構便がいい。
琵琶湖には三つの島があるが、中でも沖島は最も大きく唯一人が住む島で人口は250人。ちなみに日本の淡水湖で住人がいる島はここだけだ。ふつう落人伝説というと平家だが、ここは源平初期の平治の乱(この乱で源義朝が敗死したことにより子の義経は鞍馬寺に預けられる)により平家の勢力から逃げ延びた源氏の落武者が住み始めたという珍しい「源氏の落人(おちうど)」伝説があるそうだ。
沖島に住人の多くが琵琶湖の漁で生計を立てている。琵琶湖は言わずと知れた淡水魚類の宝庫で、ビワマス、ウナギ、コアユ、モロコ、イサザ、ウロリ(ゴリ/ヨシノボリの稚魚)、スジエビなどが漁れ、ニゴロブナを使った鮒寿司も島内で作られている。他にも琵琶湖にはセタシジミやタテボシと呼ばれる淡水二枚貝がいて興味深い。
そしてブラックバスやブルーギルもいる。60年代の後半から闇放流されたこれら外来魚は1990年代に爆発的に増え、モロコやフナ、スジエビなど在来種がほとんど姿を消すという一時期があった。滋賀県は県漁連と提携し外来魚をキロ330円で買い取る制度を2002年度から始め、03年には「外来魚のキャッチ&リリース禁止」を条例化し物議をかもした。
さっそく船上からバスアングラーの姿が見えた。まだまだ琵琶湖のバスは健在らしい。ところで捕獲された外来魚は農業用の肥料にされるほか、沖島漁協ではブラックバスのミンチにおから、ハーブなどを加えたクリームコロッケ風を作り「沖島よそものコロッケ」というネーミングで売り出しているというから面白い。
今回のクライアントのYさんは大阪から2年前に沖島に移住され、島内で放置された棚田を借り受け、そこで果樹を育ててミツバチを飼う計画を立てている。その前哨戦としての大地の再生である。
島には標高223mの尾山(宝来ケ嶽)があるが琵琶湖の湖面が標高100mあるので、水面から120m程度の山ということになる。棚田は島の東側にあり、沖島漁港から歩いて向かうことになる。ちなみに島内には車道らしきものはあるが、車は一台もない。
島に着くと港の前に集合し、地図が手渡される。今日の目的と簡単な自己紹介を経て現場へ。
途中、小学校の跡地に案内された。
まるでロックフィルダムのように、がちがちに固められたコンクリート擁壁の上に崩れた石垣が横たわっていた。
その山側にはもう一つの石垣があり、水脈がつぶれて泥溜まりを作っていた。矢野さんがクワで水切りをしてその水脈を掘り起こしていった。溝を掘れば水だけでなく空気も動く。それが地中の空気を動かし有機ガスを抜いてくれる。
溝は頭で考えたルートを掘るのではなく、地面の柔らかいところを手感触で、低いところに向かってクワと土に聴きながら掘り進むのがよい。当然ながら不定形な曲線状になる。
クワをただ真っ直ぐ振るのではなく、左右の角(かど)を交互に使ってV字に切るのもポイントだ。こうすることで水流は渦を巻きながら流れ、すると泥アクが団粒化して消えていく。また縦方向に浸透しやすくなる。
水切りの溝はただ水を動かすだけではなく、空気もそこで動く。それによって周囲の地中の空気も動き出し、有機ガスを抜いてくれる。
もう一つの港、栗谷港には広場と小学校舎があった。こちらは現役で、現在は島外からも生徒が来ているそうだ。広場(グラウンド)はちょっとじくじくしていて湿っぽい。やはりこの島でさえ現代土木で固め過ぎているのだ。
やがて道は赤崎と呼ばれる岬に向かう。
歩道の両側にはずっと菜園が続いてよく手入れがされていた。イノシシが出るらしく、柵で囲った区画も多い。
ここでハッと気づいたのだが、この島は淡水湖にあるので、水やりには湖水を使うことができるのだ。琵琶湖は潮の満ち引きがなく出口の堰で調整するので水害もない(台風のときなど若干あるそうだが)。湖面ぎりぎりに作られた畑は灌水に便利だと思う。
弁財天が祀られている厳島神社。
そこを過ぎると棚田の跡に到着する。持ち主で昔農作業をされていたおばさんたちが案内してくれる。すでに25年前に棚田はやめてしまったそうだ。減反政策もきっかけだったという。
もはや道はササやぶに覆われて・・・
3段目の田んぼ跡に到着。石垣も多くはヤブに隠れている。これをいったいどうやって再生するのか・・・途方にくれるほどの作業量を想像するが、矢野さんの答えはいたってシンプルで省力的なものだった。
全部のヤブを刈り払う必要はなく、何本か風道を開ければよい。そして風がほ程よく流れるように、棚田の中の雑草は腰の高さで刈る。そして石垣の下部はきれいに刈り払って、水路があればその上を風が流れるようにする。
図解するとこんな感じである。
風がどういうふうに通り抜けるか全体を考え、作業はひかえ目に深追いしないようにする。里山整備のボランティアは得てして徹底的に刈り払ってしまうが、風が通り過ぎると、かえって再生する植物たちはまた暴れ始める。イタチごっこになっていつまで経っても終わらないのである。
実はこのように省力的に数本の風みちを空けてやるほうがはるかに合理的なのだ。これに水脈整備を加えることで、地中の空気が動き、植物が細根を出し穏やかにコンパクトに姿を変える。つまり、自ら空間を作るようになる。植物が逆に応援してくれるのである。
石垣の天端から生えた樹木が大暴れしている。これもどこまでどのように枝切りするか、またその落ち枝の処理が非常に重要である。ビフォー・・・
アフター。
これを図解すると・・・
湖岸に一番近い田んぼ跡、別の班がここを切り開いていた。石垣が見え始める。
長年放置され水路はつぶれてしまい、石垣の下から流れ出ては陥没した穴へと流れ落ちたりしている。その水脈を開いて明瞭にしていき、石垣からの出口は点穴を開けておく。石垣の基部(斜面変換点)にも溝を掘って、既存の暗渠につないで湖面へと導くとよいだろう。
その湖面のキワには一面のヤブが広がって石すらも見えない。これも全部切り開く必要はない。くびれているところを見つけて、そこを山側(石垣側)に向かってけもの道のように開いていく。
これなら少人数のグループでもなんとかなりそうだ。春から夏にかけて、緑が萌え出る季節にこの棚田跡周辺がどう変化していくか楽しみである。
船で港に戻る。水は澄んでいるのだが、湖底の石には泥アクがびっしりと付いている。
便利な暮らしと現代土木によって浸透水が奪われ、暗渠やU字溝から放出されるようになってしまった。浸透水がなければ湖水の湧き水も激減する。淀んで泥アクがつく。放置された農地や山林もまた水脈を詰まらせて、グライ化しガスこもらせ有害な水分を滲出させている。
2018年の新聞記事によると琵琶湖の外来魚が激減したという。が、在来魚も減っているとしたら・・・。琵琶湖もまた「大地の再生」を待ち望んでいる。
おはようございます。絵本を見ていただいた八木です。学生の頃から、著書より学ばせていただいていた大内さんにお会いでき本当に感激しています。その節は貴重なお時間をいただいてお話くださり、お礼申し上げます。今回は矢野さん、大地の再生さんからだけでなく、大内さんが取材されている様子も拝見でき、とても貴重な経験となりました。今回の記事を拝見し、どのように取材から作品に昇華するのかが伺うことができたありがたい機会となりました。鍬やスコップで、滑らかにするのではなく、渦流を生み出すように掘るというところでは、大地の再生だけでなく、それを絵にするということの理解が深まりました。ただ描くだけでなく、何か社会と繋がることをしたくて15年前に大内さんの山づくりの本に出会い、こうして大地の再生でつながれたことありがたい思います。これからも学ばせていただきます。
ありがとうございます。私も原点はただの絵描きではなく、社会を変えるためにこの仕事を役立てたい・・・ということでした。奇しくも最初の本が林業技術書になり、矢野さんと出会った今も走り続けています。詰まりに詰まった大変なご時世に来ています。逆にいえば最もやりがいのある、求められた時代にいると言えるでしょう。
お互い頑張りましょう。