手折った桜、八割そば、回鍋肉


実は昨日の「煙の宮」で、あまりに美しいのでつい桜を手折ってしまった(ゴメンなさい)。花盗人は罪にならない・・・。それをyuiさんの仏花に挿した。

この激動のオリンピック中止・コロナ騒動。ふたたび崇徳の怨霊が解き放たれるのではあるまいか。願わくはこの怒りと悲しみの悪しき世に、君の霊力を再び蘇らせ賜へ・・・。

私もスイッチが入った。筆が突然進み出したのである。

今日の乾麺は沢製麺の「八割そば」。原材料は最初にそば粉、次いで小麦粉、食塩、やまいも粉、とある。まあまあ美味しい。

夜は回鍋肉。

たっぷりの春キャベとピーマンで。

本作りはいつも全体の2〜3割は予測のつかない未知の部分で、書きながら発見していくのである。本当に書き上げることができるのだろうか? という不安と逡巡のなかで突き進んでいく。

僕の曲づくりはメロディと詩が同時進行していく。もやもやと詩のイメージが湧いてくると、それを頭の片隅に置いておく。メロディは不意に生まれることがあるので小型カセットレコーダー( アナログですなぁ)を常に携帯している。

しかし、結局は「個展&ライブ」という締め切りに追いつめられて、ギリギリの緊張感から音と言葉が生まれてくる。それをギターのコードで繋いでいく。コード進行を先行させて、それに旋律をあてはめていくこともある。

そして、最後の最後まで、仕上がりがくるくると変転していくのだ。言葉尻と、音との雰囲気を合わせつつ、全体に調和のとれた完成にもっていくのは、悶々とのたうち回るような苦しみがある。言葉と音の組み合わせは不思議であり、神秘的である。たった一つの言葉の失敗が、曲を台無しにしてしまうこともあり、ふいに思いついたさりげない処理が、曲を一気に完成に持ち込むこともある。その過程は苦しいが、面白いといえば面白い。

曲づくり

そしていつかトンネルを抜ける。それは長くかかることもあれば、ふいに加速することもある。いずれにしても、自分のやりたかった仕事を突き進んでいるのだから、幸せなことなのだろう。


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