カメラのフレームで切り取れば、まるで南の島の海のようだが、れっきとした香川県の瀬戸内の浜辺である。この沖にM君の定置網がある。M君は石田高校卒、弱冠21歳という若き独立漁師である。今日はその定置網漁をN先生と共に取材させてもらう。前回1/29は小アジがほとんどだったが、今の季節アジの他にも様々な魚が入るという。
朝9時集合ということで渋滞を勘案して早めに家を出る。この頃のバロンは早朝に外に出て行き、今朝はエサの時間にも帰ってこない。仕方がないので下屋にドライフードと水を置いて出てきた。
繁華街を過ぎて渋滞を通過したのでモーニングで朝食をとることにした。牟礼のカフェ「アンデルセン」。分厚いホットケーキで有名な老舗喫茶だが、モーニングも充実している。
分厚いパンに塗られたマーガリンの味と香りが懐かしい。身体に悪いといわれるトランス脂肪酸だが、学校給食で毎日のように食わされた身には懐かしく、たまに食べたくなるのだったw。
ビターなコーヒーで目が覚める。店名がプリントされた老舗らしい重厚なカップでいただく。
港に着くと、M君が氷を準備しにいくというので軽トラの助手席に乗り付いていった。激渋の古い建物は旧漁協の事務所だそうである。反対側には鉄筋コンクリート建ての立派な事務所が建っており、その隣に大きな冷蔵庫がある。
冷蔵庫前に置かれた氷粉砕器に、自宅の冷凍庫で作ってきたという氷塊を押し込んでクラッシュシしていくのだ。
クラッシャーの刃はこのようになっていて、一瞬で氷が砕かれる。この季節、魚の保存に氷は欠かせない。ミカン箱のようなプラ容器に5~6個も仕込んでいくのである。
N先生もやってきてさっそく積み込みのお手伝い。
傍らに網が放置されて腐敗臭をたてている。この季節、流れてきた藻が網を覆ってしまい、定置網漁に不具合が出てくる。そのときは網を付け替え、藻の付着した網はこのように野積みで放置しておき、藻の自然分解を待つ。中にはウジなどがわいてやがてきれいに取れてしまうそうだ。
アンカー(錨)に付いた牡蠣殻やフジツボなども、紫外線下に放置しておくと自然にきれいになってしまうとか。
網やブイ、錨などは定置網漁にとって命といっていいパーツである。現在の網はすべて化学繊維でできているので強靭で腐敗しないが、藻が付きにくくしるための薬品は年に2回ほど塗らねばならないそうだ。網の目も用途によって使い分けられる。これは魚を誘導するために垂らしておく網で、目が粗い。
捕獲部の網はかなり細かい。これで4~5cm程度のアジやイワシの子なども獲ることことができる。
海面に近いブイやロープの部分は捕獲部よりもやや粗く細くしなやかで、操作性がよくなっている。ちなみに現在のブイもまたすべて石油化学製品だ。昔は木(材はキリだそうだ)のブイを使っていたので水を吸ってふくらんでくるんだそうだ。また、ガラスの浮き球もよく使われた。
魚を入れる桶である。大人が2人は入れる風呂のサイズ。船から冷蔵庫までをこれで移送する。
昔は大勢の人がいて、船が付けば地元の女たちがリレーで魚を移動していたのだろうが、過疎地のこちらでM君は定置網漁から出荷まで普段は一人でやっているので、様々な独自の工夫とシステムを考案している。
漁具の金属部分はほとんどテンレスでできている。ロープも昔は棕櫚縄にコールタールを塗って使っていた。だから昔の漁師はシュロの木を大事にしたそうだ。現在はもちろん化繊である。
タモ枠もステンレス。が、柄は現在も木が使われている。スギやカシが多いようだ。
船の舵の持ち手も木だった。山から採ってきたカシだそうだ。ちょっと曲がっているのが面白い。
マストに付いている照明器具も小さい。こんなもので夜の漁ができてしまうのだ。
滑車もプラスティック。もしくはステンレス。
M君の雨具はなんとモンベルのゴアテックスだった。私も初代ストームクルーザー以来のモンベル・ハードユーザーだが、最近モンベルは農漁作業を考慮したレインウェアまで作っているのだ。
しかし生地を厚くするとフード部も硬くなってしまい、振り返ったとき視界が悪い。そこで帽子を取り付けてバッグ製作のプロの叔父に縫製してもらったそうだ。
さて出航である。魚の入り具合次第だが、昼くらいには戻れるだろうとのこと。
埠頭に置いた私のスバルがみるみる小さくなっていく。
「その2」に続く。