つなぐ建築と大内邸


前日、図書館で予約していた本を手にして、すぐ帰ろうかどうしようかと迷ったが、なんとなく2階に上がって建築の本などを物色していると、隈研吾の『つなぐ建築』という対談集を見つけた。立ち読みしているうちに面白そうなので借りることにした。

隈研吾と8人の対談集なのだが、囲炉裏暖炉を焚きながら一気に読んでしまった。ヘリテージという概念と現代建築、茶室と利休の秘密、隈建築デザインの根源、震災と建築の再生、市民や鉄道と町づくりの関係、などなど・・・スリリングで面白かったし、共感できるところがすごく多かった。この絶望的な日本の中で「建築の世界全体でこれまでのやり方を変えていかなければいけない」という言葉に、私自身も励まされた。

建築に目覚めた30代

私はそれまで建築というものにあまり興味がなかったのだが、初めての海外旅行で自身に建築的なものがあることを発見した。30歳のときだった。なぜ海外で目覚めたのかというと、日本では町並みが汚過ぎて、建築を見るという意思がわき起こらなかったのだろう。日本にもいい建築はあるのだが、それは点として存在しているのであって、わざわざ探さねばならない種類のものだ。

ところがヨーロッパに行ったらすごい建築だらけなのだ。寺院や公共的な建物だけではなく、普通のアパルトマンのようなものまでが、日本で言う重要文化財クラスの建物に思えるほど、彫刻的で美しい。たとえば旧東京駅とか、京都の三条通りにあるようないわゆる近代遺産的建造物が、ごく普通にずらっと並んでいる。

加えて町並みを汚す電線や、電柱や、広告塔や、自動販売機が、ない。かわりに建物や公園に調和した石造彫刻や、本物の鉄柵、それから街路樹が、とてもよく目立つ。それらはモノトーンか、ナチュラルカラーだから、目にも優しく、かつフォルムは強靭である。

そして、建物のネオンサインや、カフェのオーニングや、ショウウィンドウの飾りの中にある原色が、石のモノトーンの中にとても映える。その町並みの美しさは私の魂を一瞬にしてわし掴みにしてしまい、ひとり恍惚としながら街をさまよい歩いたのだった。

磯崎建築と現代美術に浸る

建築が次に現れたのは「水戸芸術館」だった。それはまさに海外旅行で建築に目覚めた翌年に、私の実家のある水戸市の中心部に忽然と現れたのである。市制100周年を記念して建てられたということだが、実家の町にまさかこんな建物ができようとは・・・あるときテレビでヘルメットをかぶった建築家の磯崎新が、水戸の町を背にしてシンボルタワー建設現場に居る、その映像を見たときの驚きといったら・・・。

ときに水戸の実家でいろいろとゴタゴタがあり、私は問題解決のためにしょっちゅう実家に帰らねばならな時期だった。東京に戻れば狭いアパートで子供たちをかかえてイラスト修行のただ中、帰省をダシに芸術館の建築と現代美術ギャラリーに通うのは、当時の私の最大の慰安であり愉しみであった。

また芸術館オープン当時は、とんでもないビッグなアート展が目白押しだったのだ。磯崎自身の建築展も行なわれたし、ジョンケージ、メイプルソープ、レイノー、ボルタンスキー、クリスト、ホックニーなどなど、まるでニューヨークでやってもおかしくないような展覧会を、私は90年代前半に水戸でたっぷり観ることができた。

この建築は、シンボルタワーは近未来的だけど、建物群はどこか懐かしく、様々な建築史的ボキャブラリーが込められている。私はこの建物自体とても好きだが、水戸の人間がすべて受け入れているかというとそうではない。そしてポストモダンを掲げた磯崎その後の建築は、どの地方でも不評をかっているものが多いように思う。

結局ポストモダンはアイロニカルで、自然に対する指向がない。それではこの時代の大衆が愛することができない。ついでに語っておくと、その後の私は1996年の「ル・コルビュジエ展」をセゾン美術館で観ている。ちょうど森林ボランティアに入門した年である。そして地産の家を建てる勉強会にも参加し始め、木造建築への興味・学習はこの年から始まる。

延長としての自邸と造形

ヨーロッパのような美しい町並みがこの現代日本で取り戻せるか? といったらやっぱり絶望的にならざるを得ないが、たくさんのひとたちが心を傷め、怒り、なんとかしようと努力されているのだということが、この本を通して伝わってきた。今回の311から続く震災被害を、むしろ変革の機会ととらえようと。

一つの建築物が突出するのではなく、誠実に人々や周囲の環境との関係性を重視した建物が、やわらかな美しさで立ち現れる。そこから香り高い風が吹く。キイワードは「つなぐ」、伝統、自然、再生である。あとがきに隈研吾が高校1年のときに万博を見たときの思い出話が書かれているが、立志の時代から彼の指向性はゆるぎないことが読み取れる。

私たちはそういう時代に生まれたのだ。私もまたアートを目指しながら「地球が終わったらアートも糞もないじゃないか」という思いでイラストや文章を書き続けてきた。30年前に描いた「クラフト紙シリーズ」はその宣言であり、その延長上に林業との出会いがあり、紙芝居&個展プロジェクトがあり、山暮らしがある。

だから、私は単にバガボンド(放浪者)になったり、田舎で自作・改装オタクになったり、あるいは木工でエージング塗装をしたり、ということができない。コアの部分に自然への愛着と、造形・建築・彫刻への求心があるからだ(そしてこの時代をなんとかしたいという思いがあるからだ)。

自邸「囲炉裏暖炉のある家」は、次なる宣言でもあるのだ。

>大内邸


「つなぐ建築と大内邸」への2件のフィードバック

  1. 大内さん、ご無沙汰しています、南阿蘇の俊郎です。観ました、囲炉裏暖炉!かっこいいですね!
    桐生の時よりより洗練されてかっこいいですね!

    思わず、メールしました!

    1. 俊郎さん、お久しぶりです。コメントありがとうございます。囲炉裏暖炉もいいですが、家自体も「すごく居心地がいい」と多くのお客様に好評です。俊郎さんのところの囲炉裏もご活躍のことでしょう。四国にお越しの際はお立ち寄りください。

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