創作考


旅の間に留守電をもらっていた用事をこなす。11月に水戸の小学校で「文部省/学校への芸術家派遣事業」の依頼があって紙芝居と講演をすることになっている。その打ち合わせの電話とFAXの送信。事前に練習すれば生徒さんたちも一緒にタマリンソングが歌える、ということでCDも送ることにする。

それから農文協編集部への打ち合わせメール。旅先でお約束した方に礼状と著書の送付。今日はプリンター故障のアクシデント。もう少し様子をみてダメなら修理だ。それにゴミ箱に入れてしまったデジカメデータの復帰が無理そうでがっかり。やれやれ、PC関係は一寸先は闇だ。便利度もたしかにスゴイが、壊れれば全くのブラックボックスでお手上げだぁ。

アクシデントといえば、今日は外の水道が壊れた。蛇口の配管が緩んでしまい、水が吹き出るところだった。元栓を止め、継ぎ手と接着剤で補修した。

途中でY先生来訪。先生の推薦で、知り合いの記者のいる新聞社に僕らの取材をお願いしてくれるという。その手紙入りの封書を持って来てくれた(僕らは先生の手紙を町で投函することを頼まれることが多い)。まったく、何が起きるかわからない山暮らし。しかし、こんな補修をいちいち外部にたのんでいたら金がいくらあっても足りないのだ。補修キットは必携である。

11月の個展&ライブに向けてギターの練習を始めた。本当は1日5~6時間はギターに触る必要があるのだが、やることが多過ぎてとてもそんな時間はとれない。が、時間の隙間をつくって練習するしかない。

「僕はイラストレーターで著述家でもあるんだし、だからまあギターはそこそこで勘弁してもらおう」なんて甘えは通用しないのだ。今回のライブでもお客さんから直接お金を取る心臓は持ち合わせていないが、それでも歌とギターだけを聞きにきた人にも、それなりの感動を持ち帰ってもらえるものにしたい。

このパソコン時代は、クリエーターにとってたしかにものすごく便利になったが、それはもろ刃の剣でもある。デザインも、作曲でさえも、PCを使えばすらすらと、それなりのものが作れてしまう。便利なひな形までどっさり用意されている。しかし、これは実は大きな落とし穴なのだ。

「創作」とは本来、地を這うような努力の連続であり、断崖絶壁をじりじりとよじ登るような、地味な作業の繰り返しである。ひたすら忍耐を要求される仕事であり、孤独との戦いなのだ。ダサイと言われようが今どきそんな・・・と言われようが、この作業をくぐり抜けた者から見れば、インスタントな作品は底が浅いのがすぐにわかって幼稚な感じがする。

創作を生み出すのは一瞬の場合もあるが、それまでの助走はひたすら大変なものである。

ふうううっ、今月も大変っす!


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