お隣のイタルさんが朝から大豆の殻外しをやっていたので手伝うことにする。ヒノキの間伐材のこん棒で叩いていたので、僕もスギで同じ物をつくって手伝い始めた。昔はもちろんこの大豆で味噌をつくっていたそうで、3年寝かせたものを順繰りに食べていたそうだ。
「麹も自分たちで作るんですか?」
「ああ、ばあさんが作るのが上手かったよ」
それにしてもかなりの量だ。今年は豆類が豊作だった。豆類は肥料は必要なく、連作もできる。外した殻や茎はコンニャク畑のくぼみに敷いておき、水はけの悪い場所の水吸いに使うそうだ。
その後、里芋の親イモをわけてもらった。春先、芽が出てきてから植えればいいのだが、保存中の冬に凍ってしまうと芋がダメになるので、石垣の基部に30cmほどの穴を掘って埋めておくといいという。石垣の近くは暖かいからだ。さっそっく埋めることにした。
アトリエで干しておいたソバの脱穀をして(大豆と同じように棒で叩いたり手でしごいたりする)、「手み」で振るってゴミを飛ばすのをやった。ちょうどイタルさんが大豆で同じ作業をしていたので、そのやり方を習いにいった。
両手でみを持って揺すっていくと。重いタネが手前に集まり、軽いゴミは前へ飛びながら滑っていく。みの先端であおぐように振るっていくと、軽いゴミは舞い上がって外に落ちていく。また、口で吹いて落としてやってもいい。なるほど、みというのはシンプルながらなかなか便利な道具である。
脱穀した豆は天日で干し続ける。イタルさんを観察していると、シイタケ、豆、干し芋、と干す作業が日常になっている。いまどき市販品では天日干しの製品などあるまいが、都会ではだいいち空気が悪くて干す気になれない。山では水、火、土だけでなく、この清浄な空気とセットになった「陽の光」も大切な資源である。