2006年、元旦。もぞもぞと遅くに起き出して、やっぱりお屠蘇のアテづくりだよね(笑)。なんてさっそくおニューの砥石で包丁を研いだりするのだった。さすがによく研げる。仕上がりが速い、気持ちイイ。さっそくカブ、と昆布の酢の物、ゆでだこのスライスでビール。そして昨年のCopen旅で行った魚梁瀬で仕入れたスギの升で日本酒。これがウマイ。安酒も2ランクくらい上がる感じである。
その後は雑煮。昆布と鰹節でとった出汁でアトリエの畑産のニンジンとダイコンの千切りを煮、後から酒とみりんと醤油を合わせて火入れしてから寝かせておいたタレを合わせる。さらに鶏肉、ネギ、菜の花の葉、と入れて火から下ろして保温(囲炉裏はこんなとき便利)。ゴトクに網を置いて熾き火で餅を焼き、さっと湯洗いして保温の鍋の中へ。仕上げに柚子皮。
これがもう、おおおおおおおおおおお。っと言うくらい、汁から、素材から、餅から、すべてが、そしてその複合が、「旨い!」。透明で、清らかで、力があって、旨味がふくよかで、全体に鮮烈で、食べた後に感動がとめどなく、食べ続けるうちに涙があふれて止まらなくなってしまった。
「これだ、これが僕がずっとずっと探していた味だよ」
と僕は、鼻水をすすりながら相方に言った。都会暮らしの中では、どんなに素材探しに頑張り、上質の出汁、醤油、浄水器の水を使い頑張っても、出せない味だった(これまで僕は、鰹節を何本削り続けてきたことだろうか)。材料は同じでも、中身は似て非なるものである。その限界を、ここではあっさり越えてしまった。日本酒、みりん、醤油、昆布は町のスーパーで売っている安売り品にもかかわらず、である。
これが水と火と本物の野菜のチカラなのだろうか。そして前日に搗いた餅の強さなのだろうか。少なくとも、昨年の雑煮よりもかなり旨いという圧倒的な感動があった(昨年と変わったのは野菜がすべて自家畑産であること、餅も臼で搗いた新しいものであることだ)。
午後は区長さんの家にご挨拶とお年賀を届けに行ったら、近所のIさんとIさんのお母様に呼び止められてお邪魔し、すっかりごちそうになってしまう。僕らは話題をすかさず「囲炉裏ネタ」に持ち込んだ。年寄りたちは、みな囲炉裏に深い郷愁を感じているようだった。それは時代の流れで棄てざるを得なかったのだけれども「あんないいものは棄てるものじゃなかった」というような、チカラのこもった喋りを感じるのである。
中でも乾燥トウモロコシを石臼で粉に挽いて、それを練って囲炉裏のほうろくで焼き、灰に入れて香ばしく仕上げた「おやき」の味を、
「そりゃ、本当に旨かったよ」
と話す時、Iさんのお母様の口調は強くなり、目がいちだんと輝いたのを僕は見逃さなかった。
灰汁を使ったコンニャクの昔の作り方、僕の打ったソバはなぜいつもボロボロになるのかの謎も解け(笑)、すっかり酩酊して、アトリエに到着後はそのまま布団の中へ。で、元旦夜のテレビはなーんにも観ていないのでした(このヨッパライ!)。