スケッチ


朝、パンケーキとコーヒーで朝食。上段の畑に出てラッキョウの畝の草取り。「取り」と書くのは、ラッキョウ苗は細くて鎌で近所を刈っていると誤伐してしまうので、素手で苗周辺の草を摘みとるのだ。その後、花のスケッチをしようと思ったら小雨が降り出したのでギターの練習にきりかえる。相方は二階の掃除。3時頃、また雨が上がったのでスケッチへ。シャガとクリンソウを描く。しかし、8月の個展用に描いているという焦る気持ちがどうもいけない。

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時間のすき間に八ツ場ダムの資料を読んでいる。その本の中に自然や風土や有機農法を賛美する描写があって、「耕耘機で深く土を耕し、トラック何台分もの牛糞+藁の堆肥を漉き込んで、それでできた野菜がすごく美味しい」と書いてある。化学肥料と農薬漬けの野菜も怖いけど、この有機農法の方向はやっぱり異常なのではないだろうか? 試しにその有機野菜を常温で放置して腐らせ、ニオイを嗅いでみると、牛糞と腐った藁そのもののニオイがするはずである。

野生の山菜は、放置しても決して腐らない。萎びて干涸びるだけである。たとえ成りが小さくても、このような野生に近い野菜を作るのが、これからの農業の本道だと思うのだが。それが本当に健やかな身体に結びつき、環境を復活させる最上の手だてになると思うのだが。「そんな農業ではいまの人口は養えない」という声が聞こえてきそうである。が、山村の農地も、里山も近郊農地も、放置されて遊んでいる(郊外店の駐車場になっている)のだ。そこを自然農として利用していくなら、全体の生産量が落ちてもやれる素地があるのではなかろうか?

人は「自然」というと原野や原生林を思い浮かべる。が、日本では多くの野生生物・植物は、山村の周囲や里地など、人が関わった自然に根ざしたものが圧倒的に多い。自然農を営む敷地を増やすことが、実は環境保全に大きくつながるのだ。農に付随した自然水路、林地、林縁、古民家の周囲の石垣、垣根、庭先など、遊休地のような曖昧な場所が大切なのだ、という実感を、ここに住み始めて強く思うのである。

夜は自家製ポテトチップを作ってみる。それにウドの天ぷら。種採りに播いた麦が実った。

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