実は、昨日タクアンの樽の開封をしてしまったのです。漬けたのは昨年12月21日だから(日記)、まだひと月たっていないのだが、もう水が上がっていたので一個だけ取り出してみたのです。
これが・・・
「うまい!」
「もうできてるじゃん!」
というわけで、二人で1本のタクアンを食べてしまったのだ(笑)。
今日も取り出すことにしました。押し石の高さがぐんと下がっているのがわかるでしょう。
なにしろあれだけ干してしわだらけのダイコンなのだが、ぬかに塩を混ぜ、重しをするとひと月もせず水がじゅくじゅくと上がってくるのだ。
ヌカを洗い流して布巾で水気をふきます。ターメリックの黄色はそれほど着いていません。
包丁で切る。断面はきれいな薄い飴色、エキスは中まで浸透していて、スはできていない。
日本人ならやっぱりコレ(笑)。
味は十分発酵している旨味があって、香りがすばらしいのです。
そしてお粥にすばらしくよく合う。
お粥といっても、冷やご飯の残りを湯で煮ただけ。羽釜に直接湯を入れて数分コトコト炊く、というきわめてズボラなものだが、洗いものの手間も省けて一石二鳥。
で、あんまり美味しいので、また二人で1本分食べてしまった(笑)。全部で17本しかないので、このままでは17日でなくなってしまうぞ!?
それにしても、この空間は予想した通り発酵食品がうまくできる。温度・湿度が一定なのと、囲炉裏の煙で雑菌が押さえられるからだろう。
タクアンは石の重しで空気を遮断し、嫌気性にして発酵させるわけだが、好気性の雑菌は空気中にあって中に表面から侵入しようとする。だから、味噌も梅干しもどぶろくも、同じく囲炉裏の空間ならよくできるはずなのだ。
囲炉裏を失った日本は、同時に本物の発酵食品の作りやすさを失った、といえないだろうか?
かつてダイオキシン騒ぎがあり、野焼きが禁止され、焚き火の煙にさえ猛毒があるかのようなキャンペーンがなされたことがあった。あれにとどめを刺されて以来、日本からほぼ完全に、裸火というものが消失したのである(ピザを焼く石窯も、薪ズトーブも、裸火とはいえない。あれは石や鉄を通して熱を貰っているのだ)。
それで利権をもつプラントメーカー、電気産業、家電メーカーは多いに儲かったことであろう。こうして究極の「オール電化」に至るまで、電化製品がはびこっていったのだ。
というわけで、囲炉裏消失の裏には陰謀もアリ、と筆者はみる(笑)。焚き火とダイオキシンについては武田邦彦氏の『環境問題はなぜウソがまかりとおるのか』を読んでみるといいだろう。