清水トンネルは懲りたので長野まわりで帰ることにする。上田へ向かう。ここでどうしても食べてみたい蕎麦屋がある。毎回タイミングが合わず食べそびれていたのだ。故・池波正太郎も愛したという名店「刀屋」である。早めに着いたので図書館で時間をつぶしてから開店30分前に到着。
一番乗りで奥の席に着き、「真田そば」を注文。その盛りが豪快。蕎麦つゆはちょっと変わっていて、みそに削り節、なめこが汁椀に入っており、片口のカツオ出汁をそれに注いで混ぜながら食べる。麺つゆもついてくるので、薄まったらそれを足して、2種の味が楽しめるという趣向だ。
ごわごわとした二八の田舎蕎麦だ。横から撮ったところ。これで普通盛りである。
だから「女の方は中盛りをお勧めします」と注文の際に言い添えられる。これで850円。気取った蕎麦屋の4倍量はあるのではないだろうか。そして、味もいいのである。中盛りにすると値段は50円引きになる。律儀だ。こんな蕎麦屋がまだ日本にあったとは・・・。池波さんが通った時代から今も変わらず、黙々とその気風を守り続けているのだ。感動である。
満腹のおなかをさすりつつ、再び私立図書館まで散歩。地方の町で時間ができると、僕らはよく図書館へ向かう。郷土資料やその地でしか入手できない郷土出版社の本に面白い情報を見つけることがままある。今回も大きな収穫があった。
『おやき56の質問』柏企画 2006年刊行という本の中に、「囲炉裏」の消滅の謎を解く内容を発見したのだ。その鍵は、なんとGHQにあったのである。
終戦直後からGHQは日本人の生活改善を進めた。その一つは、煮炊きを「囲炉裏」から「カマド」へ移行させることだった。カマドというのは実は案外新しいものなのだ。もちろん囲炉裏消滅には反対の動きも起き、抵抗も大きかったが、青年や婦人はこの動きに積極的で、なにより県の機関「農業改良普及員」がGHQの後押しで進めた政策だけに、威力があった。農業改良普及員が囲炉裏を消滅させるべく「カマド構築講習会」まで開いていたというから驚きである。
GHQの農業政策は、地主や家長といった旧勢力を崩壊させ、アメリカの余剰農産物を輸入する条件づくりにあった、とこの本には書かれている。だが、それだけだろうか? 囲炉裏の消滅は、家族の団らんや家長制度による日本人の核ともいうべき規律やまとまりを、無くしていったと思う。
いま、日本人から森・農・水という、環境と生活のコアたるものの気持ちが抜け落ちているのは、実は囲炉裏の消滅とともに、起きたことのような気がしてならない。群馬で山暮らしを始めて、周囲の年寄りたちを話をするうちに、この人たちから「囲炉裏はいいもんだよ」。「あんないいものを無くするんじゃなかったよ」というような話を聞いた。そして自分で本物の囲炉裏を実践するうちに、なぜかくも囲炉裏が一斉に消滅したのか、不思議でならなかったが、その謎が解けた。
ここでもう一つの話を思い出す。それはやはりGHQによる水道浄化法の改変である。戦前は井戸水と緩速ろ過でやっていたものを、急速ろ過法に変えてしまったのだ(ブログ「餅と水の関係」参照)。それで、消毒に塩素を大量に使うようになった。
敗戦の占領下で、日本人は本物の水と火を失ったのだ。そして農薬と化学肥料を投入することで、本物の土までも失った。これらの事実を認識し、取り戻していくことがこれからの大きな仕事だ。自然農、とくに冬みずたんぼには、非常に重要なヒントが隠されている。
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さて、夕刻は居酒屋「T」へ。以前の上田行きで偶然発見した店だが、ここがまたすばらしい店なのだ。
お通し。器に店の名前入りであるところに気合いが入っているが、大根の煮物にひき肉の甘味噌だれがかかった一品。
まずはビールに「もやし炒め」、そして「うすカツ」。量があり、美味い。器もいい。
この値段を見てください。この量と質で器まで気遣いがあってこの値段。信じられますか?
そして、驚きの焼き鳥。デカイのである。ニンニク味噌と練り芥子がたっぷりついてくるところも嬉しい。この皿にも店の銘が入っている。
〆は、冬に来たらぜひ食べようと思っていた「鶏だんごみぞれ鍋」。二人分はとても入らないのでこれで1人前。酒は木曾の地酒「七笑」が、安くて美味い。
上田にはこんな店がまだまだあるのだ。まったく不思議なところである。
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