藤岡のIさんが遊びに来た。ご親戚のおばさん(同じく藤岡在住)も同伴であった。僕らは年寄りの話に常に注目しているので、このときも囲炉裏でお茶を出し、そのおばさんの話に耳を傾けた。
囲炉裏で炎を上げるとそのおばさんは目を細め嬉しそうな顔をして
「火の扱いが上手ですねぇ」
薪風呂の話になり、僕らがそれに感激している話をすると、おばさんは、
「薪風呂は暖まり方がぜんぜん違いますよね」
と言った。それはほんとうに、しみじみと全身から絞り出すような強い言葉だった。
また、薪を使う生活が、今の時代に受け入れられないことを悔やんでいるかのような言いぶりだった。
僕らは創作紙芝居『神流川なつかし物語』を制作するにあたって、過去の藤岡の暮らしを調べたのだが、むかしは水に困っており、子供たちの仕事として共同井戸から家までの水運びが日課のだったことを知っていた。
「今の若い人はちょっと汗をかけば洗濯するのはあたりまえだし、むかしから比べたらすごい水の使い方をしてますよ」
そうなんだよな。こんな水の使い方で水不足なんて言われてダムが必要なんて論調になってしまうわけだ。電気もおんなじだ。
ともあれ、薪風呂を絶賛するおばさんの姿勢に驚かされるとともに、僕らの感覚もまた間違っていないことに、自信と確信を持ったのである。