持倉集落へ。今回はマウンテンランのイベントのときの写真を皆さんにお届けしながら、お話をするという目的あり。ちょうど回覧板を届けついでにお茶のみ話をしていた家に飛び込んで、いろいろ話を聞く。
そのおばあちゃんは、マウンテンランのとき休憩中の女性選手たちと話し込み、花豆のお土産を選手にプレゼントしたのだった。私はその写真を撮っていたので、その写真をおばあちゃんに差し上げた。
おばあちゃんは、写真を嬉し懐かしそうに見るとともに、写真に映り込んだ自分の腰が、ずいぶん曲がっていることを気にしているようだった。
おばあちゃんはかつて10年間ほど藤岡の町でアパートを借りて、塗装の仕事をしていたという。そのとき、腰を痛めてしまったという。
「おしん」というNHKの朝ドラをご存知の方も多いであろう。あの昔の山村の子供の苦労を活写した映像は、当時大いに感動を誘ったものである。が、持倉の人たちは「私らの子供のときの苦労はあんなもんじゃないよ」と、笑いながらそのドラマを見ていたそうである。
さて、昼食は旧中里村の恐竜センターでソバを食べた。そのテーブルや周囲の造作が気になった。スギなのに雰囲気がないのだ。テーブル自体は間伐材の角材を貼り合わせて作った力作である。スリットが入っているがこれは「背割り」といって、材が割れない工夫である。
それにしても色が黄色い。そして赤み(芯材)の美しさが見られない。節にしても、本来は紅い部分がことごとく黒ずんでいる。これは人工乾燥(ボイラーによる強制乾燥)のせいだ。このテーブルは、人工乾燥のスギ材を貼り合わせ、仕上げにウレタン塗装をしている。
ウレタン塗装は木の表面に皮膜をつくってしまうので木の表面に触ると冷やっとする。。最初はピカピカして奇麗だが、使い込むと(布巾がけを繰り返すと)皮膜がはげてくる。
旧アトリエに戻って上がりかまちのスギ材と比べてみた。この材は2005年夏に薪割り材の中から良いものを選んで貼付けたものだ。それが4年経ってこうなった。
手斧のはつりの痕跡を「かっこいい」とするか「きたない」とするかは置いておくとして、4年経っても赤み(芯材)が美しいこと、白み(辺材)が黄色ではなくクリーム色であること、そして木目の冬目の筋が黒くなく紅く美しいことに注目していただきたい。
この上がりかまちは、元は合板のフローリング材が貼られており、それが湿気でぶよぶよになっていたので、剥がしてスギの無垢材に取り替えたのである。薪を作っていたときに奇麗な厚板が採れたので、これを改装に使えないか? と考えたのが発端なのだ。
施工直後は下写真のような色と質感だったのである。それが囲炉裏の灰をかぶり、それを雑巾がけできれいにし・・・という繰り返しを経て、このような色つやが出てきたのだ。
この工事はとぎれとぎれに行なったので経年変化がよくわかる。下写真は1年半くらい前に貼った一番新しい材の表面である。これはカンナがけして手斧の痕跡を消してしまった材である。
なぜこんなに美しいのかというと、「秋伐り・葉枯らし・自然乾燥」材だからである。
直径20cm前後のスギといえば、普通なら切り捨て間伐で山に放っておかれるか、使われるとしても上記のように人工乾燥にかけられ、新建材に挟まれた孤独な構造材として、建て売り住宅の柱に使われている材である。もしくは、森林ボランティアの手によって植木鉢やベンチにしか使われない材である。あるいは「本当は広葉樹を使いたいんだけど、間伐材が簡単に手に入るから我慢しよう」と薪ストーブ愛好家に使われる材である。
このかまちの材は長さ30cmほどであるが、ご存知のように桐生の忍木菟屋の囲炉裏部屋改装に当たっては、1.8m材を割って厚板を採り、同じような使い方をしている。4年後には同じ色つやになるはずである。囲炉裏の燻しと灰によって(これの拭き取りが塗装効果をもたらすのだ)。
ただし、ウレタン塗装のほうが奇麗で自然つやは汚い、と思う人もいるであろうから、そんな侘び寂びの解らない方々はご退場願えばいいのだ。
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蛇足だが、昔は「背割り」なんてことはしなかった。私たちが桐生で借りている家は築110年だが、芯持ち材であるにもかかわらず、柱の背割りはない。昔は「秋伐り・葉枯らし・自然乾燥」が当たり前であり、それだと芯材と辺材の乾燥が同一に行き、割れを生じないからである。さすがに110年経った今では「自然の割れ」がみられるが、それは繊維を切断していない割れなので、強度は「背割り柱」よりもずっと強い。そしてこれからは囲炉裏で燻されて、さらに強くなるのである。