持倉区長さんの葬儀から9日後、持倉を訪ねた。
奥様もだいぶ落ち着かれたとのことだが、風邪をひいてしまったという。辞そうかと思ったが「さあ、上がってください」と強く勧めるのでお邪魔することに。
葬儀のときの様子などをお話くださった。ダイコンのお漬け物、コサインゲンの甘煮をいただきながら。
コサインゲンは、私は始めて味わった(旧アトリエでは知見がない)。長さ1.5cmほどの腎臓型の豆で、煮た色は灰褐色だが、煮る前(乾豆のとき)は白に近い薄いピンク色だという。小豆よりも豆の香りが強いように思った。
ツル無しの豆で支柱がなくても自立するので、昔はコンニャクの苗同士のすき間にまいた。昔はよくできたそうだが、今はウサギの食害であまり数が採れなくなった。
持倉でこれまでよく栽培された豆(乾豆で保存できるもの)は以下の6種。
・花豆(最も大型で紫と白もまだら。支柱必要)
・白インゲン(大きさは大豆程度。青いときも茹でて食用となる。支柱必要)
・コサインゲン(上記)
・トラインゲン(まだら班、やはり甘く煮る)
・小豆
・大豆
昔は砂糖が貴重だったので、そんなに甘く煮ることはできなかった。豆自体の薄い甘みを味わったのだという。
次いで甘酒をいただいた。私がかつて区長さんが座っていたコタツの上座を眺め「ついこないだまで、ここに居たのに、信じられないね」と言うと、
「まったく、人の命ははかないもんだね」
と奥様が言われた。
お孫さんと久しぶりに葬儀場で顔を合わせ、談笑されたことを、奥様はとても喜んでおられた。
その話の中で、お孫さんたちに共通の傾向、「持倉(山村)が好き」という思いがあるのを感じた。これは椹森でも発見したことだ。彼らが山村で職を持てることができないだろうか?
可能性の一つは私のようにパソコンとネット環境を利用した職業。神流町は光ファイバー通信が来ているので、都心の会社と重いデータをやりとりすることが可能なのだから。もう一つは民宿やレストランなどのサービス業。そして1次産業の可能性として自然農や林業の復興があげられる。
林業も森林組合の作業員という職態でなく、現在の様々な機械化と技術革新のおかげで、伐採・運搬だけでなく山元での製材・乾燥・製品化・販売、という産直も不可能ではない。
林業は自然破壊だという論調もあり、かつては私もそう思った。そして植えすぎて手入れを放棄され、表土が流失するほど荒廃している人工林の現状をみるにみかねて、最も効率よく自然力を回復できる間伐のシステムを模索し、書籍化して世に問うた。
もちろん奥山は、自然林に復元すべきだ。そして、林業としてのピュアな人工林は、ゆるやかな地形の部分に限定してもらいたい。しかし、その中間であるところが膨大にあるそこをどうすればよいか? やはり蓄積された資源を有効に活かすべく、環境林と経済林、同時進行できる施業を行なうべきだと思う。具体的には、強度間伐して針葉樹と広葉樹の混交林に誘導し、環境親和的な作業道を入れて間伐材を出す(切り捨てずに使う)ということだ。
人工林はやりようによっては決して悪ではない。むしろ、環境を再創造することができる。
そしてバックホウとそれを徹底活用した四万十式作業道の出現、また低温乾燥によるスギ材の復活が見えてきた。それについては拙著『図解 山を育てる道づくり』と『奇跡の杉』(船瀬俊介著 )を読んでみてほしい。
とにかく勉強しなければ! 時代はどんどん変わり、技術は進化している。