高松市牟礼町「ジョージナカシマ記念館」なう。
「まちのシューレ963」で座ってみたジョージナカシマ+桜製作所の椅子の座り心地に感銘を受けて、見に行ってきた。
コノイドチェア。キャンティレバー構造の見るからにありえない構造の椅子なのであるが、座ってみるとしなりが感じられ柔らかい。硬い広葉樹のブラックウォールナットを使っているのだが、背中の格子の軽快さも効いているようだ。その驚きの座り心地に振り返って椅子を見ると、デザインのぎりぎりの緊張感が迫ってくる。
耳や穴を生かして、シンメトリーに製材したものを「ちぎり」で繋げる。つなぎ目にわずかなあえて空間をつくることで、軽快な感じを出している。それがとてもナカシマらしい。デザインと構造とがぎりぎりのところで一致している。厳しい作品だが、温かさが伝わってくる。
フランク・ロイド・ライトの仕事が彼を失望させたという。「形態は興味深く刺激的と思ったが、建築物の構造や骨組みは不適当で、労働者の技能も偽者であると思った」とあるブログに書いてあった。ここまで言うだけのことはある。
ナカシマはニューヨークで彫刻家の流政之に出会い、彼の勧めで高松にやってきた。何度か渡日し、若き日にアントニン・レーモンドの事務所で仕事をし、軽井沢の「聖ポール協会」を設計に関わった。私は群馬在住時代にこの作品を見に行ったことがある(こちら)。そのときの椅子(まるでゴッホの椅子のようだ)が一脚だけ、この記念館に飾ってある。
間伐材をちょこっと使ったドコモの携帯電話のCMがカンヌ国際広告祭で金賞を受賞したと聞いて、私は「ああ世の中はやっぱりバカばっかりだなぁ」と感じたが、ナカシマが生きていたならどう思っただろうか。
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屋島に登って高松の港と瀬戸内の海を見ながらビール。
土産物屋の名物「イイダコのおでん」。
ナカシマの家具には感銘を受けたが、残念ながら私は生涯この家具を買うこと持つことはできないだろう。テーブルと椅子4脚で100万円の家具を買えるのは、今の時代、庶民では絶対にムリだ。今は人生の本質と芸術が解らないバカどもが庶民から搾取した金で贅沢を謳歌している地球破壊の末期の時代である。
夜はカラオケへ。手のひら大の鯛を焼いたものを、三杯酢で漬けたものが出た。美味い。ワタも美味いが頭の骨まで食べれる。鯛の骨は硬いが、小鯛と酢のおかげで噛んで咀嚼することができる。この骨と、周囲のゼラチン質が美味い。
瀬戸内の海と鯛。この自然を残したいものだ。きっと、ナカシマもこの味を食べたに違いない。