養蚕の時代/集落支援員in持倉(11)


新年度、第一回目の支援員活動。旧アトリエを引き払ったのでこれからは日帰りもしくは宿を取っての仕事になる。それもいい情報収集と勉強になろう。

午後1時半頃、持倉到着。驚いたことに木々に雪が張り付いている。この日はMさんから養蚕の話しなどを聞いた。

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ここでは糸まゆでなく種まゆを主に育てた。種まゆとは、さなぎを生かして羽化させ、次の養蚕のための卵を生ませるもので、前橋の会社から細かい指導を受けてやっていた。当時は週に1回は会社の先生が来ていた。カイコは昭和33年から始めて62年頃までやったが、最後の10年くらいは種まゆ専門だった。

糸まゆは2みんから初めて40グラムを共同飼育するが、種まゆは体長1cmにも満たないふ化したばかりの幼虫から育てる。最初のエサは芽出したばかりの柔らかいクワの葉を細かく刻んで与える。

カイコは夏場の仕事で、6月と8月と2回育てることができる。飼育を始める前とまゆを出荷した後、年に2~3回は消毒する。

出荷されたまゆは会社ではさみでまゆの先端を切って生きたさなぎを取り出し、雄と雌に分け、それを羽化させ、交尾させて卵を生ませる。そのまゆ殻も生糸として使われていた。

8月は暖かいのでいいが6月からの飼育は寒いのでストーブを焚く。むかしは2階の囲炉裏で火を焚いていたが、道ができて石油が運べるようになると(ドラム缶で購入していた)、石油の専用ストーブを使った。じょうぞく(まゆ化)してからもストーブは焚く。ホースがついて温風が出る専用のストーブがあった。

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