石手寺を見てから本州へ渡る。四国と本州を結ぶ陸路は三カ所あるが、しまなみ海道はいちばん西側で愛媛の今治と広島の尾道を結ぶ。大小の島に架けられた橋を渡っていくのである。
“林道取材、西へ7.(しまなみ海道・大山祇神社・神戸異人館)” の続きを読む
囲炉裏暖炉のある家 tortoise+lotus studio
イラストレーター・著作家、大内正伸のブログ
石手寺を見てから本州へ渡る。四国と本州を結ぶ陸路は三カ所あるが、しまなみ海道はいちばん西側で愛媛の今治と広島の尾道を結ぶ。大小の島に架けられた橋を渡っていくのである。
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深夜に土砂降りとなり、テントがずぶ濡れになってしまう。夜が明ける前にテントを撤収して移動することにする。淡路島を下道でのんびり移動し鳴門海峡を橋で渡って四国に入る。深夜~明け方の幹線道路はどこでもトラックが多い。このようなトラッカーによって日本の生活と経済が支えられていることを実感するのである。
鳴門で写真や日記を整理する。徳島から香川へ向かう海岸の街道沿いに有名な活魚料理のメシ屋「B」。そこが開くまで山越えをして神社や寺を観たりする。ここには四国遍路88カ所の一番札所「霊山寺」がある。まだ早朝だというのここにもいるぞ「平成のジジババ様」。この寺の駐車場にはお遍路グッズを売るショップがあったりして興味深く観察したりする。う~む、しかし今の時代に「思い」のあるお遍路さんというのがどれほどいるのかなぁ。ヒマで小金のあるご老人には、四国遍路は最高の遊びなのかもしれず、今後「一大産業になるかもしれぬ」・・・などと考えてしまった。
朝、江ノ島に立ち寄ってから、義経ゆかりの寺「満福寺」を拝観する。義経は兵法の天才で、平家滅亡の決定打をうったわけなのだが、その行動力と権力に対する作法が兄頼朝の逆鱗に触れ、鎌倉入りを許されず、平泉に逃れ討たれる。ここ満福寺は、鎌倉入りを拒まれた義経が逗留して、頼朝へ理解を求める切々とした手紙を書いた場所だそうだ(寺が相模国腰越にあったので手紙は「腰越状」と呼ばれる)。この場所から義経の人生が暗転し、逃避行が始まったのだ。