深夜に土砂降りとなり、テントがずぶ濡れになってしまう。夜が明ける前にテントを撤収して移動することにする。淡路島を下道でのんびり移動し鳴門海峡を橋で渡って四国に入る。深夜~明け方の幹線道路はどこでもトラックが多い。このようなトラッカーによって日本の生活と経済が支えられていることを実感するのである。
鳴門で写真や日記を整理する。徳島から香川へ向かう海岸の街道沿いに有名な活魚料理のメシ屋「B」。そこが開くまで山越えをして神社や寺を観たりする。ここには四国遍路88カ所の一番札所「霊山寺」がある。まだ早朝だというのここにもいるぞ「平成のジジババ様」。この寺の駐車場にはお遍路グッズを売るショップがあったりして興味深く観察したりする。う~む、しかし今の時代に「思い」のあるお遍路さんというのがどれほどいるのかなぁ。ヒマで小金のあるご老人には、四国遍路は最高の遊びなのかもしれず、今後「一大産業になるかもしれぬ」・・・などと考えてしまった。
隣接する2番「極楽寺」3番「金泉寺」まで廻ってみた。
3番札所「金泉寺」は源義経一行が立ち寄った場所だった。壇ノ浦で平家を討つべく船で四国入りした彼らは、ここで鋭気を養ったのである。活魚料理「B」は改装されて小ぎれいに変身していた。これまでの四国行きでは気付かなかった新たな古民家の形式を見つけた。それにしても昔の瓦はなんと美しいんだろう。
讃岐和三盆の「三谷製糖」へ立ち寄って昔ながらの製糖工場を見、白鳥町の「猪熊邸」に立ち寄ったが、中には入れないようだった。傍らにあるクスノキの巨木に惹かれて隣接する白鳥神社へ。ここの仁王門にはなんとツルの阿吽彫刻(塑像)が置いてある。ヤマトタケルの化身である白鳥を祀ってあるのだが、こにも義経伝承が追いかけてきた。
高松のアーケード街の中に「いただきさん」と呼ばれる魚の引き売りをみた。リヤカーに鮮魚を載せて売りに来るのである。買い客の注文を受け、大きなサワラを三枚におろしているところだった。シャッターが目立ち始めたアーケード、しかし私たちは自然に生かされている・・・。いい光景だった。