牧野植物園(その12/帰宅)


翌日はyuiさんのリクエスト「県立牧野植物園」を(私は2回目)見学して、高松へ帰還。

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以前、私がここを訪れたのは2004年の3月、高知県檮原町で講演を行なう途上であった(講演録はこちら)。高知空港に役場の方が出迎えてくれたのだが、時間に余裕があったので途中、牧野植物園に寄るという無理をきいてもらった。植物園と牧野さんの業績は、そのときの日記によく描かれている(「牧野文庫」の蔵書室に見学できた)ので、ここに再録してみる。


▼牧野記念館にて★’04.3/24

植物園の中に牧野さんの生涯と業績を紹介する記念館と、別棟に蔵書や植物画を保管する「牧野文庫」があり、ここはあらかじめ予約した研究者しか入室できないのだが、考えてみれば僕も森林研究者ということになるんだから、東京から事務局に電話してみると、閲覧OKの返事をもらったのだ。

最初に植物園の温室を見る。次いで、庭園風の植物園を通りながら、牧野記念館の展示室に入る。機織り染色家の特別展も行われていたりして、建物はRCと集成材を使った立派なものだった。とにかく時間もないので、駆け足で見なければならないのが残念。中には喫茶室やレストランもあり、お客さんもけっこう入っている。


日本の植物2500種の新種を発見・命名した牧野さんの生涯は、植物学に全身全霊を傾けた凄まじいものだった。研究のために購入した書籍の借金が、いまの金額にして1億円以上に脹らんだこともあるという。この人を支えた奥さんも凄いと思った。なにより牧野さん直筆の植物画は、予想をはるかに超える完成度で驚いてしまった。

僕は『牧野新日本植物図鑑』のイラストは、牧野さん自身が描いたイラストは少なく、大方はお弟子さんというか後続の方が描いたと聞いていたので、牧野さん自身の植物画は技巧的にはまあまあの線だろうと漠然と思っていたのだ。ところが、この普及版の図鑑が出る前に描いたのムジナモやヤマザクラの図はもう圧倒的な迫力と構成と美しさだった。牧野さんはイラストレーターとしても超一流だったのだ。


牧野さんの少年時代は寺子屋であり、写本による独学で出発した。22歳(明治17年)のとき東大の植物学教室に自由な出入りが許されるようになる。この頃、まだ日本には正確な植物図鑑が存在しなかった。日本植物誌を編纂するという大志を抱いて、24歳のとき自ら印刷技術(当時は正確な図版は「石版/リトグラフ」が使われた)を習得。『日本植物誌図篇』を自費出版する(ムジナモの図はこの本のために描かれた)。しかし実家の財産を使い果たし、第11集で中座。しかも、当時の東大教授が同じような本を出版するというので妨害を受け、教室の出入りを禁じられるということが起きる。

その後、教授が変り、牧野さんは助手待遇で再び東大へと呼び戻され、今度は大学の費用で『大日本植物誌』を出すことになる(ヤマザクラの図はこの中に)。しかしこれも「当時の人間関係等の事情により」4集で中座。独学の天才が当時の東大の中で仕事をするのは相当な苦労があったのであろう。「周りから嫉妬されいじめられた状況、それと借金の苦労」などと記録に書かれているが、この2册の完成度で日本の主要植物を網羅したら、世界的な植物図説できただけに、牧野さんは本当に無念だったにちがいない。


それでも普及版の『牧野新日本植物図鑑』(北隆館)の輝きが失せるこはけっしてないであろう。牧野さんの図と解説には小さな中に大量の情報が詰まっている。図に関して言えば、種のスタンダード描かれている上に、その植物の判別を特徴づける部分が取り出され一緒に描かれてあったりする。植物は個体差が多く、同じ種でも生息場所によって色や形が違う。様々な個体を全部総合して平均的なものを描く、というのは大変な作業なのである。牧野さんの図鑑は、細かなスケッチをただ構成し直したただけではないのである。

牧野文庫の書庫には牧野さんの膨大な蔵書の他に、植物画の原画が多数保存されており、学芸員の方にそれをランダムに見せてもらった。ペン画だとばかり思っていた線は、実は筆で描かれていた。あれだけのシャープで正確な曲線を定規なしで筆で描くというのは、その道具をみつけるだけでも大変だが、テクニックとしては恐るべき職人芸を持っていたということになる。ここには財団が新たに購入した植物画の巨匠ルデューテの彩色銅版画などもあり、それを間近にみることができた。(蔵書の一つ『リンネ博物誌』は200年前のオランダ語の本。紙質がいいので現在でもページを見ることができる)

記念館の入り口にモニターがあり、牧野さんの生涯が20分のビデオにまとめてあった。その冒頭で「人間は植物を神として崇拝すべきである」というような牧野さんの言葉が映し出されていた。植物とそれにまつわる森羅万象を極めつくした末に、牧野さんは思いを込めてそう言っているのだ。


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帰りがけに大豊町の「ひばり食堂」でカツ丼を食べた。旅で太ったかも。

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