男木島の民家と石垣


男木島の集落を歩く。

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見事な算木積みの角処理。

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階段を組み込んである。

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家屋の入り口に石垣から正面階段をつけている家も多い。ここは取り壊され畑になっていた。

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玄武岩の柱状節理をそのまま石垣に。

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壁に船を解体したときの板が再利用されている。土壁も風化が激しい。

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集落の民家のおよそ半分は空き家状態で、壊れかけた家も多い。解体するにも車道がないので重機類が入れないから人力に頼ることになる。しかも島内で処理しきれない廃材は船で高松に運搬する必要がある。だから、なかなか解体にかかれないのだろう。

群馬にも石積みの集落はたくさんあるが大きな違いは、木材や土壁の素材(粘土や稲藁)が島内から得られないことで、潮風の風化以前に土壁の質もよくないように思われる。それは新建材を使う今でも変わらず、運搬費と人件費が高い。ここで家をいじるには高くつく

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猫が多く、みな毛並みがいい。

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翌日は雨だった。南側の海岸を歩いてみた。道にフナムシがたくさんいて踏まないように蹴散らしながら歩く。

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海岸線の地質は風化しやすい花崗岩である。

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▼シームレス地質図。ピンクが花崗岩。

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こちらもハマボウフウがたくさん咲いていた。

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「神井戸(しんど)」。ここは湧き井戸らしい。島の集落には井戸が掘られているが滲み出る地下水はわずかで、屋根の雨樋から天水を井戸に落とし込み、井戸筒に水を溜めて使っていた。現在は女木、男木とも海底送水管で本土から水が送られてくる。

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昔の男木島の写真をみつけた。

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昔は段々畑で自給農をするだけでなく、牛を飼育していたそうだ。草刈り場が相当あったのだろう。いま段畑や刈り場のほとんどが野に、森に、還ろうとしている。

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いま島では仕事がないので若い人が残るすべががなく、深刻な過疎が進行中である。役場の人間も高松から船で通っているという。漁師は次世代に後を継がせたくない人が多いという(危険で不安定な仕事だから)。こうして2年前に「瀬戸内国際芸術祭」が上陸し、一見華やかな側面を与えている。ジャウメのガラス建築「男木島の魂」(しかし、なんという傲慢不遜なタイトルなのだろうか)の総事業費は1億5千万円という。まばゆい日差しの中で、壊れかけた古民家とガラス建築の対比はあまりにも強烈であった。

高松に帰ってからいろいろ調べてみると瀬戸内国際芸術祭の開催から2ヶ月後、男木島の港近くで火災が発生し、大岩オスカールの作品「大岩島」のあった旧公民館も全焼。出火元とされる鉄工所のおじいさんが焼死したという。それはなんと、私たちが泊まった民宿のすぐ目の前だった。私はやはりイベント中に事故死が起きたクリストの「アンブレラ・プロジェクト(’91)」を思い出した。

2009/1/15「石垣の里へ」


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