左・「ホピの予言」伝道者の辰巳玲子さん、右・坂東商店オーナーのクボタノリコ氏(以下ノリさん)である。今日はここで行われる上映会のあとのトークゲストとして呼ばれたわけだが、僕が坂東商店にここまで関わった経緯をちょっとおさらいしておこう。
最初にこの古民家の改修について相談が来たのは2年前、2022年の10月だった。東京在住の建築デザイナーであるノリさんは辰巳さんとお友達で、辰巳さんはなんと僕が山暮らししていた群馬の旧鬼石町に住んでいる(ノリさんは法久に行ったこともあるという)。というわけで辰巳さんから僕を紹介され、連絡が来た。
場所を調べてみると山川町はGomyo倶楽部のフィールドから下ると意外に近く、30分もかからないこともあり、気軽に引き受けた。が、家は築100年超の重厚な商家で、石積みで組まれた車道から下がった部分に基礎が立ち上がるという難しい物件(道路が後から高い位置に作られた)で基礎はかなり傷んでおり、根継ぎ(柱の腐った部分を切って継ぎ変えること)するにも2階建の本瓦なので重すぎてサポによるジャッキアップができない。なので曳家(ひきや)の業者が入って枕木による井桁組みで梁を持ち上げて基礎をそっくり作り変える・・・という凄い工事が展開されているのだった💦 それをノリさんは東京から「通い」で設計と監督をしていた。
柱の根継ぎの前にコンクリートの基礎を打つのだが、そのとき玉石がごろごろ出てきてそれがまたとんでもない量だった。その石の処理にも頭を悩ませていたので、僕はその石を庭の石積みや囲炉裏の基壇に使い回すなど、むしろこの石を見せる(生かす)方向にすることを提案した。というのも、ここは銘石「青石(緑泥片岩)」の産地で、その玉石はみな美しい青石だったからである。
基礎を直したとしても雨水の流れどころをしっかり把握して分散しないと元の木阿弥になる。「大地の再生」的な見地で家周りを見ていくのは必須。道路側の石垣も青石で矢羽に積まれていて美しい(当時は泥汚れでくすんでいたが)。ここにコンクリートのスロープを打つというのだが、その石垣とののきわにU字溝を入れることになり、「杜人」を見たノリさんはU字溝設置に疑問を持ち、僕に相談を持ちかけてきたわけである。
10/2に初めて現場を見て、翌週の10/11に今度はノリさんが僕の高松のアトリエに打ち合わせと見学に来た。とにかくU字溝はやめようということになったのだが、翌12日に送られてきた現場の写真と動画を見て、石垣とコンクリートの境界に竹筒を入れるアイデアが閃いて、13日の朝すぐに略図を送った。
もっとも土圧が集中する石垣の基部に竹筒で空気抜きをつくるのだ。ノリさんはすぐに反応してくれて、
ということになり、
というわけでなんとか間に合ってうまくいったのである。
スロープにU字溝をはめ込まず、竹の空気抜きを作ることで気の流れを取り戻す。ここは石垣に納屋が接近して水たまりが基礎を腐らせていたデッドスペースだったのだが、奥の水路(コンクリート三面張だがドブではなく農業用水路なので水はキレイ)まで解放することで地階テラスを創出するというのがノリさんのプランだった。結果的に青石の石積みをあえて見せることになり、建物の心臓部である囲炉裏の基壇、そして建物を挟んだ反対側の石組みの庭と呼応して、建物は青石のトーンで包まれることになった。
あとで山川がかつて忌部文化の拠点であったことを知ったのだが、青石は忌部を語る上で欠かせないもので、とくに驚いたのは青石の成分が含まれた土はあらゆる作物がよく育つのだそうで、剣山系の傾斜畑農業や藍の栽培も青石が一役買っていたという。そういう意味でもこの改装に青石を生かしたことは良かったと思う。
僕がこんなに青石に関心を持ったのも、僕がかつて山暮らししていた旧鬼石町も同じ中央構造線の南帯にある「三波川変成帯」に位置しており、その石商の多い青石の町であったからで、拙著『楽しい山里暮らし実践術』にはコラム「青石を追って」という紀行文と考察まで記しているのだ。そこに僕の引越しと入れ替わりで辰巳さんが来られて、ノリさんのこの古民家へ導いてくれたわけである。不思議な縁という他はない。
その後、家周りとお庭の「大地の再生」のワークショップ、囲炉裏づくり、壁画描き、庭づくりの仕上げ(石積み)、2年近くに渡って関わり続けてきたのはSNSにアップしてきた通りである。
その辰巳さんがこの夏、坂東商店で「ホピの預言」を上演され、剣山にも登られるというので僕もそのイベントに便乗することになったのだ。
(続く)