里山講演@川西市「ゆめほたる」道の補修〜綾部へ


昨夜は眠くなってしまい、明け方に起き出して資料作りの続き。なにしろ2時間講演というのはこれまでで最長である(香川大学のときは80分)。スライドは表紙を含めて52枚を用意した。

今回は里山再生のボランティアグループの方が多いので、昔の森林ボランティア時代の話を挿入することにした。

その頃のストーリーは林野庁の広報誌『林政の窓』に短期連載したイラスト・エッセイ【森づくりのまれびと】に書き、それはこのブログにも収録してあるので、まだの方はぜひ読まれるとよいが(こちら)、当時は車を持たない時代で、僕は都心のアパートから電車で青梅や奥多摩まで通っていた時代があったのである。

98年には東京の林業地で激甚災害に指定されるほどの大雪害があり、新聞投稿などをしてその支援活動に関わった。そしてタマリン紙芝居が、ここで生まれるのである。

「タマリン」とは今では僕のあだ名にもなっているのだが、僕が作ったムササビのキャラクターであり、その言われは「西多摩の林業地で生まれたムササビ」であることからネーミングした。こちらはnoteに全貌を公開しているのでまだの方はぜひご覧になるとよい。

僕の「タマリン紙芝居」と「流域環境マップ」(note)
紙芝居「むささびタマリン森のおはなし」(note)

この講演にお誘いくださったMさんとは京都府山城村でおこなわれた「大地の再生」(リンダ邸2021.2)でお会いしたのだが、やはりこの発想と技術を敷地の里山再生にも導入したいとの思いがあるので、講演後半には道作りや「大地の再生」の話を盛り込むことにした。

おそらくここでのボランティアの方々たちも、近畿圏の都市部のベットタウンから車で里山に通われている人が多いことだろう。家がマンションだと焚き火も薪ストーブもできない。僕もその過程を経てきたのでよくわかる。

が、火鉢で炭火なら都会の家でもできるし、里山には「食べる」ことを通して健全なエネルギーを身体に取り込むこともできる。僕の体験からそんなことも紹介したくて、炭火や食体験、また摘み草の花を生けることまでスライドでお見せすることにした。

講演はみな熱心に最後まで聴いてくださり、質疑応答コーナーではホワイトボードにイラストを描いて解説し、その後の本の販売ではサイン攻めにあって嬉しい悲鳴をあげたのだった(笑)。

午後は「ゆめほたるクラブ」のメンバーの方々といっしょに山に入った。

歩道が巡らされている。その補修の考えたかを教えてほしいとのことだったので、雨水の出口を石積で補強し植栽を組み込んだり、

伐採枝を利用して「水切り」を埋め込んだりした。

尾根を違えた山は施設の建物が巨大な空気遮断をしているせいか、植生が貧困で表土が流れているところが多数あった。今後「大地の再生」的な処方が待たれるだろう。

一方で最初に歩いた南面の山は風がよく通って実に豊かな植生だった。下流に大ダムがあるので影響からまぬがれないはずだが、これは一方で林内に多数存在する間歩(まぶ/鉱山採掘坑跡)の穴が「点穴」的な効果を発揮しているのではないかと思った。エドヒガンが群生し、ギンリョウソウなどの腐生植物が見られるのも良好な自然度をよく表している。

とはいえ、このような里山ならもっと昆虫が多くていいはずで、僕が子供の頃なら様々なチョウが乱れ飛んでいたはずである。でもここには日本固有の陸生のホタル「ヒメボタル」がいて、それが施設名「ゆめほたる」にもなっている。

「間歩」のある里山の豊かさ・・・それは「大地の再生」が普及し、そのメソッドが今後の土木工事に採用されるなら・・・という希望を感じさせてくれる。都市とせめぎ合う里山は今後人間にとって、あらゆる意味で(食料・教育・資源)重要な場所になっていくだろう。

夕刻、クリーンセンターを後にして北上。明日は8月のイベントの打ち合わせ綾部へ向かった。


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