大工のMさんが別室で囲炉裏部の大引を作ってくれた。この大引は束(つか)で立てるのではなく、石によって支えられる。
そこで両サイドの既存の大引(今回の改装で新たに設置されたもの)にレベルを合わせるべく横木を渡しインパクトドライバーを使ってビスで仮止めし、そこに治具(クランプ)で6角形の大引を吊っておく。
この下に石を積んでいくのだが、
最終的には下図のような断面になる。6角形の大引の上に根太が乗り、その上に床板が張られ、炉縁(最終的に6角形の板テーブルが上に付けられる)の横に突きつけられる。囲炉裏づくりにおいていちばん難しいのこの細部の収まりである。
根石は最も大きな石を使う。根石は最も重要な部分なので、配置はぼくがひとりでやった。
一段積んだら中に土を入れ、根石の高さの8割くらいが隠れるように搗き固める。2段目から飼い石を入れながら積んでいく。ここから参加者さんたちも石積み体験。
積み終えたらまた土。石と石の隙間にはコンクリートのガラなどを詰めて、盛り土が外側にこぼれないようにする。そして土を入れたらタコなどで土を搗き固めておく。今回は土の湿り気が足りなかったのでジョウロで少し水をまきながら搗いた。
こうして最終段の石が6角形の大引の下端に石がギチギチに止まるように調整しながら積んでいく。全体がピタッといく必要はない。大石の数個が離れてきっちりと下端に支えていれば大引は下がらない。
ここでクランプは外して上からビス打ちで仮止めし、下部の石を積みやすくしていく。
6角形の囲炉裏暖炉の壁が立ち上がる側は大引を取り去っておいた。大引の上に石組みのフーチング(荷重を分散するための基部の平石)を置きたくないからである。
囲炉裏暖炉の背面は、掃き出し窓から続く土間になるので、守山石を見せるように配置。独特の縞模様をレイアウトしてみた。
これで大引は石の上に乗ったわけだが、まだ小さなすき間があるので、午後はここを小石と粘土でふさいでいく。左官用のフネに壁から剥がした土をと水を入れ、長靴をはいて足でよく揉み込む。今回の土は稲藁もほどよく入っていて粘りもあり扱いやすい粘土だった。
お昼はベジカレー。地元産のキノコを入れ、ベースはレンズ豆と野菜類。お米はバスマティライス(インディカ米)、市販のルーを使わないスパイシーな本物カレーだった。
午後の部開始。映像作家・東条君のインタビューを受ける福島南相馬から来た参加者のYさん。僕の本の読者で、囲炉裏の設置を考えてところ『ドゥーパ!』に出会ったそう。
大石の間に小石を詰めておき、粘土団子を叩くように投げつけていく。そのすき間に粘土を指で押し込むように詰めていく。
最終的にはこのヒノキの大引の側面にも粘土が塗られることになるが、今日は大引と石と間をしっかり埋めることが大事なので作業しやすく確認できるようにここまで。
石積み外側の上部にも粘土を使って、ほぼぴったりフネの粘土がなくなった。
これで石の基壇は完成した。が、この守山石とフーチングとの間にはかさ上げのための石、そして粘土がまた挿入されることになる(それは次回の工事で)。
居間側からみた囲炉裏暖炉の位置。壁にガラス戸が入り、囲炉裏暖炉越しに外の石積みの擁壁が見えるのが狙い。
終了後、ブルーシートで開いた壁面を塞いで、散乱している石や合板などを片付ける。この片付け、物の配置の見た目や安定感、歩きやすさや風通し・・・これも次の工事につなぐため重要である。
HACHIYADOでは火鉢の炭の着火は外の時計ストーブで点けるというので、土壁を解体したときに出た竹小舞をバラして燃料にして燃やした。
この家の改装は戦後20年の頃(逆算すると1945+20=1965年)だったという。するとこの土壁の竹は約60年ほど土の中でわら縄で編まれ骨組みとして役立っていたということになる。それが壊したときゴミにならず燃料になる。土は水で練りなおせばふたたび粘土として使える。
今日は高島の宝船温泉の露天を貸し切りにして皆で入る。夕食は焼き飯とおでん。昼のベジカレーといいこの焼き飯・おでんといい、HACHIYADOイベントの食事はベジタブル中心なのにめちゃ美味しい❣️
これでも十分満足だったのだが、一気に石積み基壇まで出来上がってホッとしたのか、イタル君が前回の魚が美味しい居酒屋で刺身の一皿を注文しており、それがテーブルに届けられ一同どよめいたのであった。
僕は久しぶりのしめ鯖(の炙り)の旨さに圧倒され、続いて太刀魚と車海老の刺身に箸が止まらなくなってしまった(笑)。
しかし、まだ気を抜くわけにはいかない。頭の片隅で囲炉裏暖炉の裏側のディテール(収まり)を考えている。