HACHIYADO囲炉裏暖炉づくりワークショップVol.2/1日目


囲炉裏暖炉を設置する部屋はすでに床板(プリント合板のフローリング)が剥がされ、いったん全ての根太と大引を取り去って、束石(つかいし)はそのままに、大工のMさん(地元70代の大ベテラン)によって新たな束を立て2本の大引が渡されていた。

そこには掘りごたつに使われた基壇の跡があった。昭和の改装によってコタツがなくなり新建材の床が張られたのだ。当時はまだ本実(ほんざね)のスギのフローリングは登場しておらず、一方プリント合板やデコラ張りのテーブルが目新しく、歓迎された時代であった。

このHACHIYADOにおける囲炉裏暖炉の設置には「昭和古民家の改装」という難題も含まれている。最初にこの家を見せてもらったとき「ここに囲炉裏暖炉を入れれるだろうか?・・・」とかなり悩んだ。新旧の折衷された中途半端な古民家ほど改装がやりにくいものはない。しかし、いま昭和古民家の空き家が大量に出始めている。

お金のない若い世代はそんな古民家を借りることが多いだろう。そこに薪火を入れるというのは意義ある新たなチャレンジでもある。昨日、薪火談義の中で若い女性から

「大内さんに、昭和古民家に囲炉裏を入れた改装モデルハウスを作ってほしい」「そうしたらワタシ絶対そこ借りて住みます!」

と言われた。そんな囲炉裏熱を、昨年の永源寺のI君宅の囲炉裏作りのときも感じた。時代は大きく動こうとしている。一方日本の住宅建築の最前線は、「ゼロ・エネルギー・ハウス」すなわち高断熱化と高効率な設備で「快適な室内環境」と「省エネルギー」を両立し、かつ太陽光発電等によってエネルギー生産する(つまり炎ではなく電気を使う)方に向かっている。

朝、始まる前に大工のMさんに石組みと大引・根太との収まりを説明できる図面を描き、イタル君と2階に上がって床板の一部を剥がし、煙突のセンターを出して下げ振りで1階の床に点の落とし込んだ。

参加者が集まり始めた。今回は『ドゥーパ!』の掲載を見て遠方から来たという人が3名いた。薪ストーブもやってはいるが、囲炉裏もほしい、そこに「囲炉裏暖炉」という回答が現れた・・・というわけである。

自己紹介のあと座学に入る。そのあとイタル君の強い要望で前回もやった「小さな焚き火」の体験を。これが、なかなか好評なのである。最小の焚き火は薪の空間や風の動きがデリケートで、焚き火というものの本質に迫れる。これができれば「炎の囲炉裏」ができる。

昼食。リンダ嬢が腕をふるったベジ料理である。ご飯は無農薬米の5分づき。調味料もすべて本物。

午後は基壇の石積みの材料となる石を下の道まで皆で取りにいった。途中の坂道には各戸に石垣があり、そのバリエーションを解説するだけでもいい勉強になる。

比良山地の蓬莱山中腹には「守山石」と呼ばれる縞の入ったチャート(放散虫・海綿動物などの動物の殻や骨片が海底に堆積してできた岩石)が名石として出る。京都では青石(緑色片岩/火山由来の変成岩)と共に庭石によく使われている(山縣有朋の別荘「無鄰菴」や平安神宮などが有名)。

大八車で運び、その後は手渡しで

囲炉裏暖炉の裏側の壁は取り外し、大きな掃き出し窓をつけるので基礎部分を壊していく。

ハンマーとブレーカーで。窓枠の下部(窓台)にはケヤキ材が使われていた。この家の改装のとき、玄関にあった上がり框(かまち)を再利用したものだとイタル君が推察した。

木目の美しいかなり緻密な材だったので、これを割って囲炉裏暖炉の炉縁に使ったどうか? ということで手分けして手ノコで切断した。

窓枠の外しやらこの切断に手間取って、終了時間が来てしまった。というわけで石積みまでいかず本日は終了。

皆で温泉に行き、イタル君の提案で近くの囲炉裏のあるお店(自然ごはんのお店「おおきな木」)を見学に行く。

夜は琵琶湖の鮒寿司が出た。鮒寿司は作り手やメーカーによって味がずいぶん違うが、写真手前、天然物のニゴロブナを使った鮒寿司はこれまで口にした中でも最上のものであった。琵琶湖周りの地酒と最上の鮒寿司の組み合わせは、日本の味覚の白眉と言ってよいと思う。

今回の座学はスライドなしでホワイトボードだけで、囲炉裏と薪火・囲炉裏暖炉について解説した。なにしろイラストが描けるというが僕の武器。なかなか面白い講義になったと思う。あとで東条くんYouTube「地球家族チャンネル」にアップされることになるだろう。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください