44番の大寶寺(だいほうじ)は四国88箇所巡礼を通しで行なうときちょうど中間点にあたり「中札所」と呼ばれる。とくべつ険しい場所にあるわけではないが、前の43番の明石寺からの道のりは約80kmでいくつかの峠越えがあり、歩けば20時間という、やはり「遍路ころがし」の霊場なのである。
駐車場は寺のすぐ近くにもありそうだったが、手前の駐車場から歩いていくことにする。参道に巨杉が続く。
風格のある山門が近づいてくる。
山中にあってスケールが大きい。巨杉に負けていない。
中の金剛力士像も堂々たる巨躯だ。この寺は歴史は古いが何度も火災に見舞われている。近くは明治7年の大火で山門は焼けたがこの像は無事であったそうだ。
木組み。このような雨と湿気の多い森の中では軒を長く出すことで建物が守られる。斗栱(ときょう)を何段にも重ねることで軒を張り出していく。この山門は彫刻がほとんどないが、この斗栱が装飾効果をもたらしている。
駐車場と社務所の広場があり、そこから本堂へ石段が続く。右手にすでに葉を落とした大きなイチョウの木が立っている。
手前は桜だろうか。花の季節は美しかろう。
ちょっと強面(こわもて)のびんずる様だが、みんなに親しまれている気配が。
大師堂。額には「御影堂」とある。
横長の建物で、基礎はコンクリートの混構造。
参道にある巨スギは樹齢700~800年くらいはありそうだが、その周囲には80~100年生のスギ林になっている。密度管理もされており、生き枝は樹高の半分まであるという林業的に理想的な樹形である。
この地域は久万林業という四国でも有数の林業地帯だが、実はその礎を築いたのはこの大寶寺の住職であった。明治初期に奈良吉野から来住した井部栄範が寺山に植林したのが始まりという。
大寶寺の近くに森林組合が主導する製材・乾燥所がある。久万は他地域に先んじて植栽や密度管理を進めていることから中大径木が豊富にあり、スギ横架材の乾燥材が手に入りやすい。実は私がいま建築中の家の構造材はここのスギ材を使っているのだ。
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久万高原町道の駅「天空の郷さんさん」の昼食バイキングになんとか間にあった。1,000円で地元産の米、野菜や鶏を中心としたお惣菜が食べ放題。建物は地元材を使った木造建築で今年の4月にオープンしたばかりだ。
近くに「久万高原の家モデルハウス」がある。煙突から煙が上がっていたので中を見せてもらった。