墓参り〜コメダ、ミモザの咲く頃


3日は恒例の墓参り。昨年、石を新しくして塔婆も取り去ったのですっきり美しくなったyuiさんのお墓。ご一緒したご両親も喜んでくれた。正面が高松のシンボル「屋島」。頂上はメサ状の台地になっている。

敷き石を汚れにくい濃いものにしようかなと、ちらっと考えてみたが、やはり白石以外考えられない。花瓶は取り付けてあるわけではなく、円筒形のガラス型の花瓶に白いテープを巻いた自家製を、そのつど敷石を動かして置いている。

この角度から奥に見るのは五剣山だ。庵治石の産地で麓には彫刻家イサム・ノグチの旧アトリエがある(現在は庭園美術館/予約制)。そして、五剣山と屋島に挟まれた内湾が源平合戦の古戦場である。

県外からのうどん観光客でここまで気付く人はいないと思うが、高松市のマンホールはこの源平合戦の名場面「扇の的」がデザインされている。

コメダでお茶。スイーツなんて滅多にたのまないのだが、今日はこんなものを注文してしまった。

コメダの建築と内装はウッディで空間が広く気持ちがいい。コメダの人気の秘密は味だけではなくこの建築空間にもあると思う。yuiさんの父上はむかし木を扱う仕事をしていたことがあり、木々や建築談義に花がさく。

帰宅して「大地の再生」の後の庭と畑を見ていただいた。この土地はかつて父上が草刈り管理していた時代があり、保育園に駐車場として貸す前はヤシャブシなどの木が何本か生えていたことがあり、群馬時代の2007年にその伐採をお手伝いしたことがある。そんな懐かしい思い出話を家で語り合う。

父上は神戸生まれで生家は神戸で仕事をされていたが、疎開先の丹波篠山でお母様と見合い結婚。yuiさんは篠山で生まれた。が、二人は数奇な運命で四国高松へ。そして、これまた不思議な旅路で高松にたどり着き、家まで建ててしまった僕と語り合っている。

今日はyuiさんのご実家の墓参りを先にすませたのだが、お隣の墓の家紋が平家の「丸に揚羽蝶」であることに気づいた。讃岐はかつて平清盛の祖父である正盛が国司を務めており、平家の支配下にあった。平家が屋島に身を寄せたのもそのためだ。

先日お届けしたお酒はすごく美味しく呑んでいただいたそうで、今日はまた別の銘柄をお出しして、丹波焼に盛った昆布巻きを少し食べていただいた。次回は海を見ながらワインを。ミモザの花の咲く頃に。


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