ジムニーと焚き火/宮城丸森町1日目


丸森町は311で放射能に襲われた飯館村に近い。福島原発まで直線距離で50km。宮城県でありながら原発事故で苦しめられてきた町でもある。前泊した「大槻屋」は歴史ある商人宿といった昔ながらの佇まいで、宿の主人大槻さんは、今回の「大地の再生講座」の主催であるNPOあぶくま里山を守る会の会長さんでもある。

宿で朝食をすませ(ここは自炊宿なので自分たちで調理する)初日の現場へ北上するとき、左手に見える奥羽山脈の山はあの蔵王連山だ。そう、丸森町は蔵王が最も美しく見える町なのだ。

現場へは乗り合いで行ったのだが、今回電車で参加した僕は、長野から来たAさんの車に乗せてもらった。で、その車というのがスズキ・ジムニーだったのだが、中でも名車の誉れ高い2代目JA22だったのだ。

ひゃ〜かっこいいなぁJA22、ツインカムで燃費悪いけど悪路走行性能はダントツ、世界中にファンがいるという旧型ジムニーなのだ。 これで車中泊しながら世界中旅したら最高だな〜。釣竿や料理道具を積んでさ♫

今回の案件は、仙台の現場でもお会いしたことがある丸森町在住のTさんの、娘さん夫妻の住む住宅敷地だった。これがまた、田んぼの中に島のように小山になった上に建つ高級住宅で(中古で買われたそう)、建物は平屋なのだが、庭やアプローチまですばらしい。しかしこれを若夫夫婦ふたりで管理するというのはやはり手に余るだろう。

今回の台風19号でこの家は湖に浮かぶ島のように孤立し、防風林でもあるスギ木立ち斜面の一部が崩壊してしまったのだ。業者に頼めば即コンクリート擁壁をべったり・・・というところだが、そこはそれ、身内が矢野さんの講座にも出、主催NPOのメンバーでもあるTさんである。

この小山は岩盤が主たる地質で、付随する土の部分が崩れたので、全体的にはそれほど問題ない。むしろ崩れたことで庭やその周囲の空気が通り始めた。

矢野さんの指示により、長野のAさんと岩手のIさんという強力コンビがその崩壊斜面の土留め処理が任され、残りのメンバーはそれぞれ敷地や家周り、庭の再生に向かう。

アプローチのコンクリートにも容赦なく(笑)ブレーカーの破壊の手が。

庭周り、外周、そして階段のアプローチにまで矢野さんは気を配る。矢野さんは僕よ3つ年上なのだが、そのパワーとエネルギーは凄いものがある。この日も暗くなってなお、バールを操って階段のコンクリートと庭石との間にすきまを開けようと汗を流している。文字通り湯気を立てるような汗を滴らせて作業しているのだ。

夜は大槻屋で自炊だったが、外の厨房施設を使ってほしいとのことで、しかも焚き火OKだという。周囲の小枝とダンボールの小片を使って、ライターの火一発でみるみる焚き火を起こしてしまう僕を、スタッフが瞠目して賞賛する。

もはや焚き火は特別な遠い時代のものになってしまったのだ。ここは東北でもあり、震災からの流れがあって、焚き火にはゆるいのだろう。ならば僕が火の番になって薪をあやつり、美しい炎をキープしようではないか。

結局。矢野さんまでがその火を囲んで、皆の夕食も焚き火を囲んで食べることになったのだった(笑)。


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