溜まった洗濯物と、木と漆喰の家の話


京都から戻ってGomyoへの準備をしているうちに溜まった洗濯をする時間がなくなり本日、大量の洗濯物。この頃は階段上の空間を部屋干しに利用している(梁に丸竹をかけて物干し竿にしている)。衣替えもせねばならず、クロークからシワだらけに積み重ねられた長袖シャツを取り出して、一緒に洗う始末。

しかし、やはり木の家はいいな。室内で干してもよく乾く。昨日、またたびの打ち合わせで何度かアトリエに来たことがある香川大の女子大生と話をしたのだけれど、

「大内さんの家は、いつ行っても気持ちが良いですよね〜」

と言っていたのが印象的だった。僕はなぜそうなのかを、最近の住宅事情を話しながら説明した。決定的なちがいは無垢の木と漆喰をふんだんに使っていることなのだが、家具類や設備にバカみたいにお金をかけなければ、この家づくりはそれほど高くない値段でできるのだ(宮大工が出てくるような、全てが天然乾燥で手刻みで真壁で・・・というような家は別である)。

しかし、現実にそのような家は滅多になく、メーカーのモデルハウスなどはむろん皆無なのである。その理由もある。施主自身が木と漆喰の良さを知らず、興味がない。そして、工務店やハウスメーカー自体が、木と漆喰の家づくりをやりたがらないのだ。

なぜかというと、まず一つは材料の選択から始まって、施工が面倒で時間がかかること。木材は工業製品のように均一ではない、ここで既に一つのハードルが生まれる。しかも、素材は曲がったり割れたりしやすい。また、漆喰塗りなどはビニールクロスを貼るのに比べたら、手間も時間もかかる。

さらに、住宅はクレーム産業とも言われ、事業者は「瑕疵(かし)」といって後々のクレームに責任を持って無償で対処することが、法律によって義務付けられている。木と漆喰の家は、現代の集成材と合板とクロス張りの家より、ずっとクレームが来そうな家なのだ。

設計屋や工務店は、全体の工事費のパーセンテージで儲けが決まっているので、高ければ高いほど、そして工期が短ければ短いほど、そして後々のクレームがすくないほど、儲かるのであり、その逆は死活問題になるのである。

「だから、施主も勉強して一緒に作る気にならないと、こんな家はできないよ」

と僕は言ったが、彼女はさらに僕と工務店との出会い話などを訊いてきた。

まだほとんどの建築関係者は気づいていないのかもしれないが、この家のスタイルは現代建築と折衷しながら、昔のいいとこ取りをしながら、ローコストで美しく建てる新しい手法なのである。

アトリエに見学に来た人は「こんな家に住みたい!」「こんな家を建てられたら!」とほとんどの人が絶賛する(とくに女性が多い)。すでに囲炉裏暖炉の制作と設計のコーディネートをお願いしたい・・・というような人が出てきているし、先日の岡山での「山暮らし講座」では、アトリエの住空間が噂になり、

「大内さんち見学ツアーを組もう!」

などという話にまでなっているのだ(汗)。

もう一つ大事なのは、風の流れる空間性である。これは住みながら家具や照明を自作していったことも大きいだろう。しかし、もともと僕にそのような空間感覚がそなわっていた、ということもある。

建築家や工務店はまずそのようなことは考えない。家具や照明については自分のセンスを押し付けるか、カタログの山をどさっと手渡して、締め切り日時を迫ってさっさと決めるように仕向ける。

そして、このような後付けで風の流れる空間性を確保した家は、いつも広々として居場所、置き場所の自由度が高い。

さて、国産材の家づくりを勉強するにあたって、僕はかつて東京の産直の家づくりの会などに出入りしていたこともあるのだが、一番勉強になったのは2011年に香川に越してきてから家を建てるまでの4年間、京都に通って様々な古建築、町家、現代建築、工芸などに出会ったことが、良かったのではないだろうか。

その間、yuiさんのご実家で、町なかのアーケード街で、鉄骨とコンクリートのビルの一室に居候(いそうろう)させてもらった時間も得難い体験であったと感謝している。

11/17のまたたびツアーの前日に、彼女たちが準備の手伝いにやって来る。というわけで、そろそろゴミ溜めのような下屋と。パンドラの箱みたいなクロークを片付けなきゃいけないな!(爆)


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