猪熊弦一郎展、砂糖〆小屋、代車レヴォーグ


昨年からスバルのエンジン系統のリコールの連絡が来ていたのだけど、ず〜っと先延ばしになり、本日ようやく入車。せっかく木太町まで来たので代車の乗り心地を確かめつつ四国村まで行ってみる。前から見たかった四国村ギャラリーで行われている「猪熊弦一郎展 私の好きなもの」、第1期は7/13までだからなんとか間に合った。

猪熊さんの顔シリーズ、けっこう好きなんだよね♬ 展覧会はミニ彫刻や愛蔵品なども飾られて、編集者岡本仁の目を通した猪熊さんのエピソードも面白かった。

この美術館、設計は安藤忠雄なんだけど、建物はまあいいとして、野外にある「水景庭園」というやつがいけない。よどみに泥アクが溜まっていて、下のほうではあぶくができている。水が臭い。

植えられたバラは瀕死の状態だし、メタセコイアもうなだれてヨレヨレになっている。こんなコンクリートに囲まれてかわいそうだな。安藤さん、あなたやっぱり間違っているよ。

美術館に行くには四国村の建物群を通っていく。香川に2棟しか現存しないという「砂糖〆小屋」。江戸時代後期、砂糖は讃岐の特産品であり、薩摩の黒糖に対して讃岐は白糖の生産で日本一だった。円形なのは中央に石臼があり、それを牛が回りながら絞るためである。

この〆小屋は坂出市林田町新開にあったもので、明治35年に高松市で生まれた猪熊弦一郎はこの円形の家があった風景を覚えているという。

これは今の国分あたりかが一面の砂糖きび畑で風の日等、緑の大きな海の波のような動きの中にこの丸いわら屋根の家が燈台の様に点々と建って居た風景を忘れることが出来ない。その頃から 五、六十年過ぎているから鴨川地方の若い方々は知るよしもない。(猪熊弦一郎「生きている四国村」)

これは昭和51年の四国村開村式に寄せた猪熊の一文の抜粋で、今回の四国村ギャラリーでの展覧会の入り口の壁に掲げられているものである。それにしても、わがアトリエからそれほど遠くない坂出の林田や鴨川辺りに、かつてこのような建物が点在していたとは驚きである。2棟だけでもここに移築され残さて本当に良かったというべきだろう。

頂上にある灯台守の建築。白いフヨウが美しかった。

この石蔵の石はなんと鷲ノ山石であった。アトリエの囲炉裏暖炉に使っている石と同じものであったのだ。今からさかのぼること17年前、2002年の10月、yuiさんと個展会場を探して「四国村」へ向かった。この石蔵は当時貸しギャラリーになっていて、候補に上がっていたのである。

代車は渋いメタリックグレーのレヴォーグだった。返納までの期間、旅に出るのであまり乗れないけど、乗り心地たのしみたいと思います♬


「猪熊弦一郎展、砂糖〆小屋、代車レヴォーグ」への2件のフィードバック

  1. 砂糖〆小屋、こんなに美しかったんだ。全く気がついていなかったわ。見に行かなくちゃ。有り難うございます。

    1. しかし現地には一棟も現存していないとは、なんともったいないことを・・・。他には流用しにくい建物だったからでしょうか? カーブの処理なんか感嘆しますよ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください