大地の再生@仙台秀明/4,ブロワーの使い方、庭は自然の相似形


仙台取材4日目。昨日は有機アスファルトをじっくり見て、今日は草本の植栽を勉強する。朝礼の後、皆で荷物の移送を始めた。ようやく舗装工事が片付き、ごちゃごちゃと散乱していた荷物がこれで整理されれば、現場はより見通しが良くなり植栽も見えてくるだろう。

作業の間、これまでの仕上がりを観察に出かけた。

移送のついでに矢野さんはブロワーの使い方を説明しようと皆を集めた。ブロワーは風を送りながら落ち葉やホコリなどを吹き払うエンジン機器である。「うまく使えば手仕事の3倍のスピードで仕事ができ、しかもずっとキレイになる」。

矢野さんはエンジンの掛け方から始めて、次に枯れ草の束を丸めてそれをタワシがわりに使いながら、ブロワーのスイッチやレバーまわりの掃除をするのだった。かなり汚れてホコリがこびりついている。

「機械のスイッチまわりにホコリが層になるような状態で置いておくと、ロクなことはない。それは地面も同じ。ひと皮くらいだったら掃いたり洗ったりすればすぐに落ちるが、層で厚くなると問題をおこす」

現場におけるブロワーの使い方も同じで、泥が層になって溜まっているようなところを見つけてホコリを飛ばしていく。汚れだまりの「点」が広がって「線」になっている(・・・なるような)ところを見つける。全部やる必要はなく、サッと時間をかけないで次元を同じにしてやる。それだけで現場の作業は円滑に進み、場も痛まない。

いよいよ草本類の植栽に入る。まずは運び出し。

2階の玄関前の最も重要なスポットに植えるようだ。みっちり指導してくれるのかと思ったら・・・

「植える植物のどちらが正面になるかを考えて、人の動線から判断して植えるように」・・・というような簡単な指導の元に、皆に植えさせるのだった。

ところが、自由に植えさせた後で、やはり矢野さんの厳しいチェックが入る(笑)。まず、均等や等間隔に並べるように植えてあるものはダメ。そして、灌木の根が乾いていたら、水やりしながら植える。

さらに感嘆させられたのは・・・

玉石の置き方がただの装飾になっている。そこにニワゼキショウが配置されるように植えられている。そこに矢野さんがメスを入れ始めた。

自然状態のセキショウは水や空気がよく通るところに生えている。だから普通の植物のように地面にべったり植えてもいい表情にならない。

いま、玉砂利は地面を押さえるように並べられていて、このままでは詰まったり乾いたりしやすく水辺の好きなニワゼキショウが健やかに育たない。玉石は自然の渓流の石がそうであるように、岸辺の土圧を支えるように置き、ミニマルな谷を作る。すると空気と水が行き来をし、清流の水辺を好む植物も順応する。

これはまさに渓流・清流のミニチュア版ではないか・・・。いつも矢野さんが言う「ミクロとマクロは相似形」ということばが鮮やかによみがえった。玉石でV字谷を作ってやれば枕木の表情も変わってくるし、間のノシバもコンパクトにまとまってくるそうだ。

さらにハッとさせられたのは次の言葉だった。

「こんな小さな間違いでも、全体に影響していくんだよ・・・」

すべては脈でつながっている。これまで積み上げてきた浸透水脈や高木植栽などが、最後の表層排水と表層地形、グランドカバーの手違いでダメになることさえある。パサパサか詰まっているか・・・が見えたら要注意だ。

この敷地で「大地の再生」視点から最も重要な場所はどこか? それは一番低い北西側斜面と宅地道路との境界であろう。地形の変換点でもあるそこは、グライ土壌特有の臭いがしており、矢野さんは時間が押しているにもかかわらすそこを大改造して、念入りに浸透水脈を通したのである。

その作業で遅れて、矢野さんは予定していた名古屋の会議に出ることができず、私は矢野さんの資料を上野駅まで受け取りに行ったのであるが、構内のカフェで打ち合わせを始めるなり、そのときの様子を図化して熱く語っていた矢野さんを忘れることができない。

昼を食べずに現場を後にし、仙台駅に向かった。今日まで取材を伸ばしただけの価値は十分あった、と思った。


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