早朝、仕事の合間に撮った写真。ちょっと引いて階段手すりと囲炉裏暖炉を重ねてみた。この階段の開口部と手すりの黒の感じが、私にはコルビジュエのサヴォア邸の螺旋階段を思い出させる。
この手すりは、暖炉のフードや煙突と共に、塩江のアイアン作家の中井氏にお願いしたのだが、最初のイメージはサヴォア邸なんかではなくて、それまで居候してお世話になっていたYの実家の階段手すりなのである。
これが、昔の職人さんが手作りした単純な鉄管を繋いだものなのだが、カーブの感じが実用的でかつ美しいのであった。その写真を中井氏に見せて同じ感じのものをデザインしてもらった。
ところが最初の案は90度曲がるところに支柱が立っていた。ここはどうしても空中でカーブを描きながら90度の曲がりを表現してほしかったのだが、下部の補強材に細めのパイプを使うため、曲がりの約物がないので不可能だというのだ。
「いやそれじゃダメだ。ここには絶対に空中曲がりが来なければ、アイアン手すりにした意味がない・・・」と私は言った。このカーブがこの手すりの核心なのだ。デザイン的にもこの建物は単純な長方形なのでどこかにカーブがほしい。そしてこの位置こそが、建物の中の芯であり光り輝く場所なのだ。
現場にいた関係者にしばしの沈黙が流れ、諦めるしかないのか・・・と思いかけたそのとき
「じゃ、下は平鋼(フラットバー)でやればいいいじゃん。そうすれば曲げられるでしょ」とYが突然にして決定的なアイデアを出した。
こうして、この優美な手すりが完成した。下から上がってくると、この手すりの黒が次の空間を予感させ、上りきった先に囲炉裏暖炉のフードや煙突の黒が現れる。
アイアン手すりを階段の中央で折り返しで設置したおかげで、階段の空間は広く豊かになった。そこに鉄製の黒が空間を引き締める。おそらく普通の「森と木の家愛好家」の施主なら、鉄製などとんでもないと、タモ材あたりの木製手すりにするはずだ。
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ところでル・コルビジュエが初来日して日本建築を見た感想は「線が多すぎる」というものだったそうだ。桂離宮を讃えたブルーノ・タウトは、コルビジュエを形の面白さだけを追求するフォルマリストだと批判していたそうだが、そもそも梁と柱で構成された日本の家は「線」の建築なのだ。大きな開口部をつくる梁と柱は、庭と融合することで輝きを見いだす。
しかし、いまの住宅土地事情で庭を取ろうと思ったら、内部に取り込んで居住広さを犠牲にするしかない。それなら閉鎖空間にして柱を隠して白壁にし、窓の美しさやフォルムを楽しむほうがいい・・・というような両極のなかに、日本の建築家たちは投げ込まれている。
スギ材を活用することで、大壁の中に美しくも繊細な軸線をつくることができる。いや、軸線を使わない手はないのだ。なぜなら、日本には極めて優れた木製建具の伝統があるからである。
板目で無節の窓台・笠木・ドア枠などは木目の流れが美しいが、横から眺めれば柾目が出て軸線に味わいを与える。そし幅木や回り縁。つまり柔らかなスギ柾目の軸線に囲まれるわけだが、そこに繊細な日本の木製建具が(障子を含めて)調和し呼応するのは当然のことだ。
その空間にアイアンの黒が、そして木の軸線に対するアイアンの曲線が、また絶妙にかぶさるというわけで、この手すりは唯一無二の選択だった、と思うのである。
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それにしても、今回この家に関わった讃岐の職人さんたちは、皆一様に寡黙で、実直で、仕事は精緻であった。中井氏はこの仕事の後、香川県展彫刻の部で県知事賞を受賞した。