石垣、ワサビ漬け、ウド移植


日曜日ごとにやってくるトラックの移動販売の黒沢商店のおじさんの話は本当に面白く興味深い。おじさんは現在67歳。神流川最上流の上野村で生れ育ち、Y先生の「すりばち学校」で実際にY先生の教え子だったことがある。現在は高崎に近い玉村町に住み、トラックに食料を積んでやってくる。

昨日はおじさんの話を意図的に誘導し、石垣の話を聞き出した。日本の山間部に数多くみられる石垣は、いったいどのような構造になっているのか? その材料はどこからやって来たのか? 重機のない時代、あれだけの重さの石をどうやって積み上げたのか? この「石垣の秘密」・・・前々から勉強したかったのだ。

まずは、構造。

角のない玉石の場合、積む石の周りに何個の石があるかが重要。6や8個の偶数では崩れやすい。

この辺りの石は角がある。だから、周りの数よりも常に石が納まる窪みを残しながら石積みを構成していくことが重要。

その石は、石垣の内部に向かって下方向に過重がかかるように、奥をやや斜に下げて積む。

そしてその裏にはすぐ土を置いてはダメで、小石を充填するのである。これは水はけを考慮してのこと。ここが土だと雨水がたまった場合に土が石垣のすきまから流れてしまい、裏側に空隙ができて石垣が崩れてしまう。

裏に置く小石は、表の石が大きければ大きめのものを置く、その裏側には小さめの石を、という立体構造にする。

ということは、石垣を積む前準備に、大小の石たちをあらかじめ相当数用意しなけれなならない。

さて、あれだけの石たちはいったいどこから暢達し、どのように運ばれたのか? おじさんによれば、

この辺りでは畑や家づくりのための造成をする場合、石はいくらでも出てくる。それを集め、大きな石はモッコやソリで人力で運ぶ。

モッコというのはロープで編んだ荷揚げ網のようなもので、それに2本の棒を渡して前後二人づつ4人で運ぶ。

もっと重いものは、さらに長い一本棒を渡し、それに短い担ぎ棒を何本か渡して両側に人が入る。そうして8人で担いだりする。

また木製のソリ(おそらくカシの木などで作るのではないだろうか)に載せ、コロで運ぶ。

登りの場合はソリをロ-プで引くのだが、回転軸と回し棒のついた支点をつくり、皆で回してソリを動かすこともあった。

農閑期にこの仕事で稼ぐ人もいる(ということは、これは共同体の無償の「結」だけでは済まぬ大掛かりな仕事だったのだろう)。

今日はおじさんから購入したうどんで朝食。実は前夜、何者かにうどん玉を食い荒らされて2階に放置されていたのだった。ノラネコのミッキーの仕業だろう。生うどん食べるネコなんて初めてだぞ。

数日前に自生のワサビで「ワサビ漬け」をつくった。葉ワサビを塩揉みして2時間ほど放置した後、酒粕を日本酒で溶いたものに塩と砂糖を加えよくかき混ぜたものに漬け込む。土産物で売っているワサビ漬けそっくりのものができている。いや、辛味と鼻孔に抜ける香りはこちらのほうがはるかに素晴らしい。

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午後、Y先生とウドの移植。野生のウドがまとまって出ているところがあり、それを畑に植えかえて、葉が育つほどに腐葉土をかぶせて白い茎のところを長くする。白ウドでも野生種のものはとても美味しいという。また水やりの場所が増えたが楽しみである。

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その後、車で高崎へ。市立図書館に立ち寄る。日の出時代から数えると丸6年以上図書館通いを無沙汰していた。さすがに「読みたい本」「読まねばならぬ本」がぞくぞく出ている。建築関係など増えた。群馬は郷土資料もかなり出ている。図書館では時間があっという間に過ぎてしまう。

夕刻、友人の引っ越し祝いに藤岡へ。お土産にお茶の専門店をみつけた。高崎は市内を通る道の数が多く、そこかしこにスルドイお店を見つける。そういえいまNHKの朝ドラのロケ地に高崎競馬場があったりする。高崎は依然面白いのである。


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